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…と言うほどのネタではないんですけど、「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」の原題
『Arthur Or The Decline And Fall Of The British Empire』って、
あれレイ・デイヴィスのオリジナルかと思っていたら、そうじゃないのね。
恥ずかしながら、最近になって気がつきました。
元になるのは、18世紀にイギリスのエドワード・ギボンという人の書いた
『The History Of The Decline And Fall Of The Roman Empire』。
一見ほとんど同じであって、これは誰が見ても「アーサー」の原題は、ギボンさんの著作のパロディーだということが一目瞭然ですね。
ちなみにギボンの書いた『The History Of…』は、ローマ帝国の興亡を描いた歴史書の古典でありまして、当然日本でも翻訳が出ている。
岩波とか筑摩とか、そういうところから出されているのだけれども、どの出版社から出ようとも、タイトルは一緒。
一般に流布しているその邦題は「ローマ帝国衰亡史」。
ひょっとしたら、歴史かなにかの教科書で、一度くらいは目にしたことがあるかも知れない。
まあ、「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」という邦題に異議を唱えるわけではないのです。
一見すれば分かる通り、原題をそのまま直訳しているわけだし、それがゆえに日本語タイトルとしてのインパクトは相当に強く、また印象にも残る、実に傑出した邦題であるとは思います。
だけどこれだと、タイトルをギボンの著作のパロディーにするという、レイ・デイヴィスが意図した“お遊び”にまでは、残念ながら思い至ることが出来ませんね。
レイの意図を汲もうとするのであるならば、邦題は
「アーサー、もしくは大英帝国衰亡史」
というのもアリだったかなあ、と思います。
そしたらこのタイトルにピンとくる歴史好きな人が、多少なりとも出たかも知れない。
ま、今となってはどうでもいい話ですが。
ところで、ギボンの著作からタイトルをいただいたレイ先生本人は、本書を読破したのでしょうか?
「ローマ帝国衰亡史」は、例えば筑摩文庫で見ると、一冊500ページの分厚い本が、全10巻にも及ぶ大作で、内容もそれなりに難しくて、僕なんかにはとてもじゃないけど手が出せない。
しかし、さすがにそこは「読書をするというのは、俺にとって大いなる快楽であり贅沢なんだ」と豪語していた先生のこと、キッチリと読み込んだうえでのタイトル借用に違いない。
いやいや、そうするとひょっとしたら、アーサーの物語を解く鍵が、「ローマ帝国衰亡史」の中に隠されていたりとか?
仮にそうなら、僕はもう完全にお手上げです。
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アーサーは
ごく普通の労働者階級に生まれた素朴な男
世の中は厳しくて
人生は生まれながらに決められていたようなものだったけど
若き日の彼は希望に満ち満ちていた
権力を持った人たちに ずっとこき使われ続けても
より良い人生を求めて
境遇が上向くように一生懸命頑張ってきたんだ
もしも人生がたやすいものだったなら
ずっと愉快でいられたのに
もっと平等で、誰もが満足できるものだったなら
アーサー 君を置き去りにしたまま
世の中は移り変わっていったんだ
分かるだろう? 分かるよね?
泣いてもいいんだ
一晩中泣いても
それでも何も変わりはしない
分かるだろう?
アーサー 僕たちは知ってるよ
それに同情もしてるんだ
分かるだろう? 分かるよね?
アーサー 僕たちは君が好き
君の助けになりたいんだ
君を愛する者だっている
そのことも分かっていて欲しい
君の毎日はどんな様子だい?
それに君のシャングリ・ラは
安息の地は見つけられたかい?
君の傍を通りすぎていった希望や栄光
世の中の動きは見えるかい?
君の子供たちが夕陽の中に船出して行く
新しい地平に向かっているんだ
そこは誰にでも開かれた場所
アーサー
ひょっとしたら、間違っていたのは世の中の方かも知れない
分かるだろう? 分かるよね?
アーサー
恐らく初めから君が正しかった
分かるだろう? 分かって欲しいんだ
今や僕たちは君を知り、そして同情している
君を助けたい、そして理解したいんだ
分かるだろう?
君を愛する者がいる
分かるだろう?
アーサー 君を置き去りにしたまま
世の中は移り変わっていったんだ
分かるだろう? 分かるよね?
泣いてもいいんだ
一晩中泣いても
それでも何も変わりはしない
分かるだろう?
アーサー、僕たちは君を知りたい、そして理解したい
アーサー、僕たちは君が好き、そして助けたい
ああ、僕たちは君を愛してる、君の力になりたいんだ
アルバム最後の曲に至って、遂に「アーサー」という固有名詞が登場します。
僕のこの「読み解く」シリーズでは、便宜上、初めからこれはアーサー・モーガンという、労働者階級出身の人物がたどる個人史を、ドラマ仕立てにした作品であるという前提で話を進めてきましたが、実際のアルバムでは、このラスト1曲まで、物語の主人公がアーサーであるという事実は伏せられています。
だから、はじめてこの作品を聴く人は、アルバムの中に歌われる、ヴィクトリア女王崇拝の少年や、戦争で息子を亡くした母親、オーストラリアへの移住キャンペーン、チャーチル首相の演説などの、一見何のつながりもない断片的なエピソードが、全てアーサーという一人の男の人生における断章であったことを、最後の最後で知ることになります。
さて、ここで注目したいのは、レイ・デイヴィス、あるいは「we」と複数形で歌われているところからキンクスのメンバーが、主人公のアーサー・モーガン氏に「同情している」もしくは「共感を覚えている」と語りかけているという点です。
レイ・デイヴィスおよびキンクスが、一人の老人の人生にシンパシーを覚える、その理由とは何なのか。
その理由を探るために、ここでは改めてアーサー氏とはどのような人物だったのか、どのような人生を送って来たのかを、再度確認してゆくことにします。
アーサー氏が生まれたのはヴィクトリア朝末期。
幼いアーサー少年は、ヴィクトリア女王を心から尊敬し、大人になったら大英帝国のために命をも投げうつと誓います。
しかし、成長したアーサーを待っていたのは、悲惨な第一次世界大戦と、軍隊での人を人とも思わない貴族出身の上官の命令、そしてソンムの前線に送られた兄の死という過酷な運命でした。
退役したアーサーは絨毯職人として働き、シャングリ・ラと名付けられた一軒家も持ちますが、生活は決して豊かではなく、また中年期に差し掛かってからの上昇志向を忘れたその生き方は、時に「国家に洗脳されている」という批判も受けます。
第二次世界大戦では従軍こそしませんでしたが、時の首相チャーチルに心酔して銃後を守り、変わらぬ愛国心を示します。
ところが大戦後、植民地の相次ぐ独立やスエズ危機への対応の拙さゆえに、国威は急速に衰えはじめ、イギリスは若い世代にとって、魅力のない国へと衰退してしまいます。
こうした状況に閉塞感を感じて、アーサーの息子であるデレクは新天地を求め、国策として展開された移住推進事業に応じ、一家をあげてオーストラリアへ渡ることを決めます。
アーサーはデレクが下したこの決断に、心を痛めながらも止めることはできず、これまでの人生をひたすら夢見るように懐かしみながら、間近に控えた息子一家の移住の日を心寂しく待っています。
物語を通して語られるアーサー氏の性格は、一言で言えば「保守的な愛国者」です。
幼い頃の原体験から来るのでしょうか、古き良き大英帝国を愛し、決して時代の流れに乗ろうとはしません。
国家に洗脳されていると中傷されても、何の疑いもなくその国家を信じ、国が与える社会保障や給付金に、心から満足して暮らしています。
舞台設定が今から40年以上前の、1969年だとしても、これは完全に時代遅れの人物に違いありません。少なくともロック・ミュージシャンが同情したり、共感を覚えたりするような類の人物とは程遠いキャラクターです。
ここで、話は一旦アーサーを離れます。
アーサーを発表する1年前の1968年、キンクスはイギリスの田園生活を詩情豊かに描いたアルバム「ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ」を発表しています。
先見性のあるコンセプト・アルバムとして、今でこそ評価の高いこの作品ですが、発表当時の売上げや、リスナーからの評判は散々でした。
ブルース・ロックやサイケデリックの台頭、ベトナム戦争に対する反戦運動やヒッピー文化の勃興など、革新的なものが持てはやされる時代にあって、「村の緑や、昔からある古き良きものを大切にしよう」と高らかに宣言するこのアルバムは、世間一般の関心を買うことが出来なかったのです。
しかし、売れる売れないを度外視して、レイ・デイヴィスは変革の時代のさなかに、それに逆行するかのように「時代に流されずに古い文化を守る」というコンセプトでアルバムを作った。
これは事実です。
さて、振り返って「アーサー」です。
物語の主人公は、ヴィクトリア朝に生まれて、20世紀の時代の波にうまく乗れずに取り残されていく一人の老人。
その人に寄せるレイ・デイヴィスの共感。
つまり、レイ・デイヴィスとキンクスは、今度は「時代に流されずに古い観念を守る」人物を主人公にアルバムを作ったということです。
アメリカでのプロモーション活動を禁止され、ブリティッシュ・インヴェイジョンからはじき出された1960年代後半のこの時期、レイ・デイヴィスの思考は、否応なしにイギリス人の原点探し、アイデンティティーの追求へと向かっていたのでしょう。
2009年に出たボックス・セット「ピクチャーブック」のインタビューの中で、レイは「アーサー」アルバムに関連して、次のようなことを述べています。
「今ではこの国に暮らす人たちは、皆、強い中流意識を持つようになり、自分たちの生まれを恥じるようになってしまった」
「車やテレビを何台も持つのもいいし、自分の子供を大学に行かせるのも悪い事じゃない。だけど自分のルーツを消してしまうなんて馬鹿げている」
イギリスの文化や精神に着目して、現代に残された古き良きものを守り抜く。
結局、レイの意識は「ヴィレッジ・グリーン」から「アーサー」まで、根底の部分では繋がっているのです。
だからこそ、彼は「アーサー=古き良きもの」を助けたいと願ったのだし、アルバム全体を通して注がれるレイのアーサーに対するまなざしは、一貫してこの上もなく温かいのではないでしょうか。
【終わりに】
今年の6月に、ふとした思いつきで始めた企画ですが、およそ半年を経てようやく完結いたしました。
もしも、最初から最後まで、いや途中からでもお付き合いいただいた方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
長い間、本当にありがとうございました。
さて、6月9日にアップした(その序)の時点では、簡単なストーリーをあげて「Whoのトミーなんかと比べたら、恐ろしいくらいに面白みのない物語ですね」と書いた僕ですが、こうして一曲一曲について考えてきた今となっては、こう言い直さなくてはならないようです。
「Whoのトミーなんかと比べたら、恐ろしいくらいにスケールの大きい物語ですね」
一人の男の人生を軸にして、二つの大戦をはさんだイギリス現代史を描くという手法は、例えばディケンズなどの発想に近く、その意味で本作は、まさに「歴史ロマン」と言えるほどの壮大な作品に仕上がっていると、今では思います。
この作品によってレイ・デイヴィスは、現代イギリスの主要な作家のひとりとして認識されてしかるべきであったんじゃないかとも考えますが、それはどうでしょうか?
ところで、自分が書いてきた考察を読み直してみると、あるいは意味を取り違えているかもしれないな、という部分も目に付きます。
例えば「Brainwashed」では、アーサーを「洗脳されている」となじるのは、同じ労働者階級の仲間であるかのような書き方をしていますが、ジュリアン・ミッチェルとレイによるプロットをよく読むと、アーサーの息子であるロニーは、資本主義に疑問を抱く学生であると書かれています。
であるならば、体制に迎合したアーサーを非難するのは、このロニーであると考えるのが、より自然な理解であったかもしれません。
他にも、こうした間違いはあるかと思いますが、そこは平にご容赦ください。
最後に、アーサー・モーガンのモデルとなった実在の人物、アーサー・アニング氏(Arthur Anning)について、少しだけ触れたいと思います。
アーサー・アニング氏は、デイヴィス兄弟の姉ローズと結婚した、兄弟にとっては義兄にあたる人物です。彼について書かれた文章には、一時的に兄弟の家に同居していたという記述もあり、レイとの仲は良好だったようです。
レイによれば非常に厳格な人物ということでしたが、一方でイギリスには失望を感じていたそうです。
また、彼の兄は空軍パイロットとして、ヴィクトリア十字章を送られるほどの活躍をした軍人だったということですが、アニング氏自身は目が悪く、こうした栄光とは無縁でした。
ある日彼は、オーストラリアで始まった「リトル・エリザベス」という村の建設計画をテレビで知って興味を持ち、1964年には一家をあげて、この地へ移り住んでしまいました。
「アーサー」アルバムの発表後、オーストラリアでレイと再会したアニング氏は、自分を題材にしてレコードを作ったことを詫びる義弟に対して、逆に作品にしてくれたことを感謝したといいます。
なお、彼はアルバムの発表からさほど経たない1973年の10月に、オーストラリアで亡くなりました。
この当時のことを思い出して、レイは「1973年は僕にとって最悪の年だった」と、後に述懐しています。
レイにとって、アーサー・アニング氏の存在は、よほど大きなものだったということでしょう。
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肩を並べて歩いたことを思い出すよ
あなたは僕の父で、僕はあなたの誇りだった
今では僕も子供を持って
頭には白いものが混じり始めている
あなたと話し合ってる暇はないんだ
話すことなど何もないんだから
あの頃の、日曜日の家族団らん
でも、今では僕には僕の家があって
僕なりの友達付き合いだってある
もう昨日までのようにはいかないんだ
別々の人生を歩いていくことが
互いのためだと思わないかい
リューマチの具合はどう?(何も言うことはない)
霜焼けの具合はどう?(何も言うことはない)
マーベル叔母さんはどうしてる?(何も言うことはない)
今のところ、父さん
僕には何も話すことがないよ
わしたちが一緒に過ごしたあの幸せな日々
この世は永遠に変わらないと思っていた
なのに、どうして日々は過ぎ去ってしまったのだろう
永遠に変わらないものなど有りはしないのか
あなたは上手く行っている振りをしているだけ
時間かせぎに他愛のない話をしてるんだろうけど
あなたが吐き出すように喋る言葉には
結局何の意味もないよ
あなたにだって、本当は話すことなんて何もないんだろう
隣の住人はなんてやかましいんだ
僕はもう出ていくよ
段々うんざりしてきたから
芝居を見るために早く家に帰らなきゃならないし
今のところ、父さん
僕には何も話すことがないよ
生命保険の契約はどう?(何も言うことはない)
商業組合のほうはどう?(何も言うことはない)
独立の話はどうなった?(何も言うことはない)
今のところ、父さん
僕には何も話すことがないよ
アーサーと、その息子デレクとの会話が、そのまま歌詞になった曲。
ただ、会話とは言っても、デレクの一方的な言葉の前に、アーサーは成す術もなく黙りこくっているという感じであります。
レイ・デイヴィスによれば、アルバムの舞台設定は「今では独立しているアーサーの家族が、久しぶりにシャングリラに集まって過ごす週末の一日」だそうなので、これはそうした状況の中で交わされた、親子のやりとりの一部なのでしょう。
ロックに限らずポピュラー音楽のジャンルの中では、世代間の断絶を歌った曲というのは、フーの「My Genetation」を筆頭に、アリス・クーパーの「School's Out」とか、ピンク・フロイドの「Another Brick in the Wall」など、幾つか思い浮かぶのですが、こと「親子の」断絶についての曲というと、ジョン・レノンの「Mother」とか、ちょっと毛色が違うかも知れないけれども、チープ・トリックの「Surrender」とか、日本では井上陽水の「断絶」とかがちらほらと思いつく程度で、あまり一般的な題材ではないようです。
ところが、やはりキンクスは視点が違っていて、あまりロック的とは言えないこうしたテーマを、物語の一部とは言いながら、正面から取り上げて、しかも親子の間の冷めた関係を「リューマチの具合はどう?」とか「生命保険はどうしている?」などという、いかにもどうでも良さげなやり取りを通じて浮かび上がらせるあたり、やはり並の才能でないことを再確認させられます。
内容については、これ以上の深読みは不要だとは思いますが、蛇足的に言うならば…
我が子はいつまでも子供のままだと思いたい親と、もう自立した大人なのだから、余計な干渉はするなと突き放す息子。
アーサーとデレクとの関係で言えば、オーストラリアに移住を決めた息子に対して、そうしてほしくないと望む親、更にはそれを疎ましく思う息子、といった堂々巡りの感じでしょうか。
改めて歌詞を訳しながら聴くと、自分自身が親にしてきたこと、いずれ子供にされるであろうこと、色々な思いが頭をよぎって、何とも複雑な気分になってしまうので、今回は短めに、これにて終了いたします。
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いつもそうしてきたみたいに 人生を振り返っている
砂糖で包まれたような 柔らかで真っ白な夢
それは気高い そう気高い
若くて純真な日々
全てのものが かつてどのような姿であったのか
正しく見届けてみたいと願う
それには遅い そう遅すぎる
若くて純真な日々
しわが刻みこまれた君の顔
時は過ぎて もう戻ることはないんだね
それは気高い そう気高い
若くて純真な日々
ある曇り空の日曜日、アーサー・モーガンは妻とふたり、リビングに向かい合って座りながら、静かにお茶を飲んでいた。
『いつの間にか、こんなにしわしわの婆さんになったものだなあ』
アーサーは、妻の顔に刻まれた年輪のあとを、慈しむようにしみじみと眺めながら思った。
恥ずかしがり屋の彼には、こうして妻の顔を見やるなど、ついぞなかったことなのである。
『苦労ばかりかけてきた…』アーサーは心の中でつぶやきながら、窓の外のこじんまりとした庭に目をやった。
こうした何でもないひと時、必ず脳裏に甦るのは、妻とふたりで、夢中で歩んできた自らの人生である。
あの、若き日、大志を胸にヨーロッパの戦線に従軍した時のこと。
ヒステリックな上官の命令、そして兄の死。
やがて結婚。
日和見主義者と陰口を叩かれながらも、家族を養うために必死で働いてきた絨毯職人の見習い時代。
貧しい中で、あちらこちらに工面して、ようやく手に入れたマイホーム。
この家で育っていった息子たち、デレクとエディ…。
エディ…!
アーサーの鼓動が突然早鐘のように高鳴り始める。
あの子のことを考えると、いつでも胸が張り裂けてしまいそうになるのだ。
ああ、神様はどうして兄ばかりかエディまで、私から奪っていってしまわれたのか。
アーサーは壁に飾られた息子の写真へと視線を移した。
写真の中の息子は、あの日のままの愛くるしい笑顔で、じっとこちらを見つめている。
「かあさんや…」アーサーは何事かを伝えたくて、目の前で編み物をしている妻へと声をかけたのだが、胸にこみ上げる感情をどう表現すればよいのか分からないまま、発しかけた言葉を飲み込んだ。
「お茶をもう一杯もらおうか」
妻は若い頃と同じように、片頬にえくぼを作ってうなずくと、台所へと立って行った。
善い妻である。
何の取り柄もないこのわしに連れあって、文句も言わずに家庭を切り盛りしてくれた。
楽しみと言えば、ご近所さんとの井戸端会議くらいのものだ。
そうそう、このあいだ聞いてきた、王女様みたいな帽子をかぶった娘の話は傑作だったな。
高価な帽子をかぶって玄関の履き掃除をする、近所の娘の様子を想像して、アーサーの表情はほんの一瞬和んだものの、すぐにまたいつもの気難しい顔に戻ってしまう。
デレクの移住の件が頭をよぎったからである。
息子のデレクは一家をあげて、オーストラリアへ移り住むことを決めたという。
オーストラリア…
そんな遠い所へ行ってしまえば、もう生きて再び会うこともあるまいに。
息子が言うには、この国にはもはや希望がないらしい。
希望がない?
いや、そんなはずはあるまい。この前の戦争でだって、我々はチャーチルと一緒に華々しく戦ったではないか。
妻が新しいお茶を運んできた。
ゆっくりとした手つきで夫のカップに注ぎ淹れると、またもとの椅子に座って毛糸の束を膝に乗せる。
「かあさんや」
アーサーは熱いカップを手に持って、まるでひとり言のような口調でつぶやいた。
「わしらは幸せだったなあ…」
それが自分の本心なのか、実のところは彼自身にも分からなかった。けれども、そうつぶやかないことには、自分の歩んできた人生がひどく惨めなものに思える気がした。
「まあまあ、なんですか、藪から棒に」
老妻は眼鏡の奥で夫に向かってニッコリとほほ笑むと、笑顔をたたえたまま再び編み物に視線を落とす。
アーサーは知っていた。
自分の人生が、決して幸の多いものではなかったことを。
兄や息子を戦争で失って、むしろ辛いことの多い人生だった。
『それでも、わしは他人の人生を羨ましいと思ったことは一度だってない』
アーサーは熱いお茶にフーフーと息を吹きかけながら、この平凡な人生が決して間違っていなかったのだと自分自身に言い聞かせた。
『もしも、もう一度人生をやり直すことが出来るとしても、わしはこの人生を選ぶに違いない』
彼はお茶をひとくちズズッとすすり、自分の気持ちに相槌を打った。
それにしても、こうして過去を振り返る時に、いつでも思い出すのは、あの若くて純真だった頃のことだ。
その昔、この国の人々は清らかに生きていたものだった。
性に関することは本当に悪で猥褻で、ガツガツ金を稼ぐのも卑しいことだと思われていた。
街中をちょっと離れれば、貴族のお屋敷があって、クロッケーの芝生や、緑豊かな村もあった。
それはヴィクトリアが女王だった頃のことだ。
あの頃、わしは本当に、この国と女王のために命を捨てても良いと思っていた。
また、そう思わせるだけの魅力がこの国にはあった。
それがいったいどうしたことだ…
あの偉大だった、光り輝く大英帝国は一体どこに行ってしまったのだろう。若者の心はどんどんこの国から離れてゆき、未来への希望も残されていないという。
それでは、英国よ!
お前はまるで、老いぼれたこのわしと同じではないか。
いつしかアーサーは、大英帝国の盛衰を自分自身の人生と重ね合わせている。
『ふふっ、全くわしの人生は、お前と共にあったのだなあ…』
彼は自分自身を愛するように、大英帝国という、今では時代遅れになってしまったこの国を愛してきた。
その愛情は、ほんの僅かしか報われなかったし、時にはひどい仕打ちも受けたけれども、それでもこの国を愛することだけは止めることが出来なかった。
『そりゃあそうだ、誰だって自分自身を嫌いになることなど、出来る訳がないのだからなあ…』
彼は妻に気づかれないように、唇の端を曲げただけの苦笑いをすると、再び窓の外に目をやった。
戸外には、はや夕闇が迫っていた。
彼は椅子から立ち上がると、今までの妄想を振り払うように首を振り、それからちょっと背伸びをして、部屋の電灯のスイッチを入れた。
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あの娘は社交会に行くために
マリーナ王女みたいな帽子を買った
なのに窓拭きの時にも
階段をゴシゴシやる時にも
いつでもそれを被ってる
アスコットなんかじゃ彼女にお目にかかれない
時間もお金もないからね
だけどあの娘は
マリーナ王女みたいな帽子を買ったんだ
彼女は何も気にしちゃいない
あいつは貴族の気分を味わいたくて
アンソニー・イーデン卿みたいな帽子を買った
でも奴にはロールスもベントレーも手が出ない
中古のフォードが精一杯
妻子を養わなきゃならないし
服や靴にもお金がかかる
だけどあいつは
アンソニー・イーデン卿みたいな帽子を買ったんだ
奴は何も気にしちゃいない
なあ、10セント恵んでくれねえか
女房が腹を空かしてるし
ガキどもは泣きっぱなしなんだ
貧乏でプライドなんかズタズタだ
なあ、恵んでくれねえか
10セント恵んでくれねえか
あの娘はマリーナ王女みたいな帽子を買った
近所のみんなからは
とっても良くお似合いよって言われるけれど
家の戸棚には食べるものさえない有様
ご近所さんも似たり寄ったり
だけど彼女を見た者は
きっと金持ちなんだと思うだろう
だって彼女のほほ笑みは
まるで百万長者みたいだから
だってあの娘は
マリーナ王女みたいな帽子を買ったんだ
彼女は何も気にしちゃいない
彼女は何も気にしちゃいない
タイトルになっている「マリーナ王女」という人物は、20世紀中頃にイギリス王族の一人であったケント侯爵ジョージ王子の奥さんだった方。
で、このケント侯爵ジョージ王子というのは誰かというと、どこの国でも王族・皇族の家系図というのは複雑なので、探し出すのに苦労しましたが、どうやら現女王であるエリザベス2世のお父さん(ジョージ6世)の弟、ということはつまり女王にとっては叔父にあたる人物でありまして、するとこのプリンセス・マリーナはエリザベス女王の叔父さんの妻で…。
まあ、簡単に言えばエリザベス女王の義理の叔母さん、ということで、とりあえず頭に置いておくことにしましょう。
それともう一人、2ブロック目に出てくる「アンソニー・イーデン」というのは、ウィンストン・チャーチルの後任としてイギリスの保守党党首となり、1955年に首相に就任した貴族出身の政治家の名前。
だから、これによって、アーサーの時代軸ではチャーチルが主導した第二次世界大戦が終わり、大体1950年代くらいに突入したということが分かる仕組みになっています。
ところで、このマリーナ王女の生没年を調べると、お亡くなりになったのが1968年だったというので、これはちょっと重要かなと思います。
と言うのも、今でこそ遠い昔の話になってしまってますけど、1969年発表の「アーサー」執筆時点では、マリーナ王女の逝去は、当時のホット・ニュースとして、イギリス国内を賑わせていたであろうと思われるからです。
アルバム発表当時には、プリンセス・マリーナの名はかなりのリアリティをもって、当時のリスナーに響いていたことは想像に難くなく、つまり「アーサー」のアルバム世界と現実の世界とをシームレスに行き来させる役割を、この曲は担っていたのではなかったかと思うのです。
さて、歌詞を額面通りに取るならば、この曲では貴族の服装を真似ることで、現実の窮乏をしばし忘れる庶民の生活が歌われているようです。
英国人の王室好きというのは有名な話で、先年のダイアナ妃の例を持ち出すまでもなく、王室メンバーはまるで一種のアイドルのごとく、国民の興味の対象になっているわけですが、そんな王族のファッションに憧れて、帽子ひとつを被ることで、まるで金持ちみたいな気分に浸る貧しい娘。
いかにもキンクス的なシチュエーションで、これはこれで悪くないのですが、僕としてはやっぱりもう一つ踏み込んで、裏の意味まで読み取ってみたい。
例によってウィキペディアから得た、にわか知識によるならば、マリーナ王女というのは、イギリスの植民地だったガーナとボツニアが、1957年と1966年にそれぞれ独立した際に、エリザベス女王の代理として独立式典に臨んだ人物。
そして、アンソニー・イーデンというのは、首相時代の1956年に勃発したスエズ危機(第二次中東戦争)に際して、その対応の拙さのために国内経済に打撃を与え、国際社会におけるイギリスの凋落を加速させた人物。
すると、レイはこのふたりの人物を象徴的に配置することで、大英帝国に「衰退ならびに滅亡」をもたらした元凶と思われる、植民地の相次ぐ独立とスエズ危機という、ふたつの事実を遠回しに歌っていると考えられないこともない。
つまり、ここで歌われる経済的に困窮した庶民たちというのは、これは実はレイの考える英国そのものの姿であって、「貧乏でプライドなんかズタズタ」になり「家の戸棚には食べ物さえない有様」なのに、「妻子を養わなきゃならない」と歌われる内容は、経済的には他国の後塵を拝する完全な斜陽国家であるにもかかわらず、「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる手厚い扶助法政策によって、国民を過剰に保護することで、やがて英国病と呼ばれる深刻な社会経済の停滞を招く近代イギリスの姿を暗示する。
…などと書くと、完全に「考え過ぎ!」とか言われるでしょうね。
まあ、我ながら確かに飛躍のし過ぎとは思うのですが、しかしながら怖れ多くも「大英帝国の衰退ならびに滅亡」などという、とんでもなく大仰なタイトルを付けるからには、あのレイ・デイヴィスなら、このくらいの周到なトリックは当然のごとく仕掛けていても不思議はない。
僕は、やっぱりこの曲は、第二次世界大戦後に拍車のかかった、イギリスの衰退を歌ったものに違いないと思うのですが、そこんとこ皆さんはどのように感じますでしょうか?
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チャーチル首相は語る
我々はこの血なまぐさい戦争を
最後の最後まで戦い抜かねばならんのだ
ビーバーブルック男爵は語る
我々は勝利のために
錫や門扉や空き缶を供出せねばならんのだ
この島国を守るのだ
陸上で、そして海上で
我らの敵と戦うのだ
海辺で、丘陵で、野原で、そして市街で
人類の歴史の中で、かくも多くの者たちが
かくも少数の者からの恩恵を受けたことはかつてなかった
なぜならば、彼らは我が大英帝国を
私やあなた方にとってより良い国に作り上げてくれたからだ
今こそが英国にとって最良の時であったと語り継がれるであろう
モントゴメリー将軍は語る
マウントバッテン卿は語る
我々はこの血なまぐさい戦争を
最後の最後まで戦い抜かねばならんのだ
またいつか会いましょうと
ヴェラ・リンは歌うけれど
終わりを迎えるまでの間に
私たちはどれだけの犠牲を払えばいいのか
爆撃機が頭上を行くのが聞こえるだろう
ほら、あそこでは家が焼け、誰かの死体が転がっているよ
通りを片付けて
早く復興しなければ
俺たちは自由になりたいんだから
やれるもんならやってみろ!
俺たちは最善を尽くすだけだ
俺たちは戦いに勝ってみせる
チャーチルが言うように
そう、チャーチルが言うように
くじけるもんか
勇気と鍛練を示すのだ
窓に目隠しを、扉に釘を
戦争が終わるまで耐え抜くぞ
アーサーの時間軸も、いよいよ第二次世界大戦期に突入しました。
数々の苦労を若い頃からアーサーに科してきた大英帝国は、1940年の夏、ここに最大の苦難を、彼を含むイギリスの全国民に強います。
ナチスドイツの猛攻の前にフランスが降伏。
ヨーロッパではほとんど唯一生き残ったイギリスも、空襲の恐怖に晒される日々が続きます。
そうした中で、1940年4月に英国首相になったチャーチルは、断固としてドイツと戦うことを宣言します。
饒舌な演説で、議会や軍はもちろん、民衆までも鼓舞するチャーチル。
そしてその言葉に勇気づけられてか、アーサーのような庶民までもが「欲しがりません勝つまでは!」といった状況を前向きに受け止めていく。
といった内容です。
さて、よく言われることですが、レイ・デイヴィスの歌詞は、内容が深い割には、平易な言葉づかいで書かれることが多いです。
だからこそ、英語が不得意な僕なんかでも、辞書サイトとか翻訳サイトを頼りにすれば、ある程度の和訳が出来るわけなんですが、しかしそれなのに、この「Mr. Churchill Says」の歌詞には、至る所に難解な言い回しが出てきて、やけに難しいなあ、と思ったら、これ歌詞の半分くらいは、実際のチャーチルの演説から頂いた言葉だったんですね。
歌詞の中に出てくる
「陸上で、そして海上で、我らの敵と戦うのだ。海辺で、丘陵で、野原で、そして市街で」のあたりは、チャーチルの1940年6月4日の下院演説からの抜粋だし
「今こそが英国にとって最良の時であったと語り継がれるであろう」は、1940年6月18日、ヨーロッパで猛威をふるうナチスドイツに対して、たとえ連合国がイギリス単独になったとしても最後まで戦い抜く決意を述べた下院演説の一節、「1000年のちの大英帝国の人々にも、これが彼等の最良の時だったと言わせたいものだ」をもじったもの。
「人類の歴史の中で、かくも多くの者たちが、かくも少数の者からの恩恵を受けたことはかつてなかった」は、1940年に起こったイギリス空軍とドイツ空軍との一連の空中戦、いわゆるバトル・オブ・ブリテンに際して、8月20日イギリス下院で行った有名な演説の一節。
とまあ、こんな具合です。
ウィンストン・チャーチルといえば、第二次世界大戦時の弁舌巧みなイギリスの首相にして、盤年には数々の戦記や伝記の執筆によってノーベル文学賞まで受けた言葉の達人。
そんな人物の演説を歌詞の中に取り入れれば、言い回しが難解になるのは、これは無理からぬことでしょう。
しかしそれにしても、近代の政治家の演説を、ほとんどそのままロックの歌詞として使ってしまうこの感覚。
そして、それによって時代が第二次世界大戦中であることを、一瞬にして聴く者に想起さてしまうこの手腕。
レイ・デイヴィスという人は、印象としては全部直感で歌を書いてるような感じなのですが、これを見る限り、かなり周到な準備をして曲作りに取りかかっていることが分かります。
チャーチルの演説以外に、曲にリアルさと奥深さを与えている「Mr. Beaverbrook」「Mr. Montgomery」「Mr. Mountbatten」といった人名は、それぞれマックス・エイケン・ビーバーブルック男爵、バーナード・モントゴメリー将軍、ルイス・マウントバッテン卿であって、第二次世界大戦の時期に活躍したイギリスの軍人や政治家ですが、これらの人達の功績についてまで語るスペースはありません。
ただ、もう一人名前の出ている「ヴェラ・リン(Vera Lynn)」は1940年代に活躍したイギリスのベテラン・シンガーですが、第二次世界大戦中に出した「また会いましょう(We'll meet again)」が、時代の気分を代弁して大ヒット。
最近では、彼女が第二次世界大戦勃発70周年を記念して2009年に出したアルバム『We’ll Meet Again ? The Very Best of Vera Lynn』が、この年の全英チャート2位にランクインしたという、ビックリするようなニュースがありました。
92歳にしてチャート2位は、もちろん史上初の快挙ということで、一時話題になっていましたが、逆を言えば、あの時代を懐かしむ英国人が、それだけ数多くいるということなのでしょうか。
チャーチルの言った「今こそが英国にとって最良の時であったと語り継がれるであろう」という言葉を、奇しくも証明するような出来事と言えそうです。
参考サイト
第二次世界大戦資料館の「文書・音声保管庫」
西洋軍歌蒐集館の「音声資料」
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ついにパラダイスを見つけたね
ここは君が支配する王国
外に出て車を磨くのも
暖炉のそばに座るのも
思いのままにすればいい
君の理想郷の中で
ひたすら働いてきた報酬だ
もう手洗いに裏庭まで行かなくていい
もう車を欲しがったりもしなくていい
座りたいだけ座り続けていればいい
君の理想郷の中に
スリッパを履いて暖炉のそばに座れば
そこが君の行きついたところ
もうそれ以上は望めない
君は収まるべき場所にいて
それがどこなのかも分かってる
そこが君の理想郷なんだ
古いロッキングチェアに揺られていれば
何も怖がることはない
何も気にすることはない
君はどこへも行けやしない
これが君の理想郷、シャングリ・ラ、シャングリ・ラ
バスに乗り込むつまらない男
頭の中はローンのことで一杯だ
けれども彼は臆病すぎて愚痴も言えない
だって、そんな風に飼い慣らされてきたんだもの
やがて時が過ぎて、借金を完済したら
週7シリングの支払いで、テレビとラジオを手に入れるさ
これが君の理想郷、シャングリ・ラ、シャングリ・ラ
通りに並ぶ全ての家には名前がある
通りに並ぶ全ての家はみんな同じように見えるから
同じような煙突に、同じような小型の車、同じような窓の枠
隣人はお節介を言いにやって来る
敷地の境界について話して、お茶を飲んだら帰っていく
君の商売についてたずねたりもする
ガスの請求書と水道料金、それに車の支払い
これがどんなに心もとないことか考えるだけでも恐ろしい
小さな理想郷の中の人生は
それほど幸せというわけではないね
シャングリ・ラ、シャングリ・ラ
スリッパを履いて暖炉のそばに座れば
そこが君の行きついたところ
もうそれ以上は望めない
君は収まるべき場所にいて
それがどこなのかも分かってる
そこが君の理想郷なんだ
古いロッキングチェアに揺られていれば
何も怖がることはない
何も気にすることはない
君はどこへも行けやしない
これが君の理想郷、シャングリ・ラ、シャングリ・ラ
第一次世界大戦に翻弄された前半生を経て、絨毯職人として勤勉に働いたアーサーは、ついに念願の家を手に入れます。
タイトルになっている「Shangri-la」は、アーサーが購入した家の名前です。
どうやらイギリスには、住民ではなくて家屋そのものに名前を付けるという伝統があるみたいで、建物の外壁に、その「家」のネームプレートが埋め込まれている、というようなことも珍しくないようです。
そんな習慣を踏襲して、アーサーが自分の家に付けた名前が「Shangri-la(理想郷)」というのは、ささやかな幸福への願いを感じさせて、これは何ともいじらしい。
ただし、その家の中では思う存分に寛ぎつつも、ローンや公共料金の支払いで汲々として、生活の不安はいつまでたっても拭い去れない、というのがこの曲の大意かと思います。
まあ、若干憐憫の情に走り過ぎているきらいはありますが、それでも古今東西のほとんどすべての一般庶民に当てはまるような普遍的な歌詞になっていて、僕なんかも含めた普通の生活者には、非常に感情移入し易い曲なのではないでしょうか。
このあたり、「A WELL RESPECTED MAN」や「DEAD END STREET」といった風に、市井に埋もれた一般の人々を活写し続けてきたレイ・デイヴィスの面目躍如といったところです。
ところで、ちょっと余談になりますが、ファッツ・ドミノやフランク・シナトラ、日本でも榎本健一さんや高田渡さんが歌ってヒットした「私の青空(My Blue Heaven)」という曲をご存知でしょうか?
夕暮れに仰ぎ見る輝く青空
日暮れて辿るはわが家の細道
せまいながらも楽しい我が家
愛の日影のさすところ
恋しい家こそ私の青空
という歌詞なんですが、僕はどうもこれが「Shangri-la」と結びついているように思えてならないのですがいかがでしょう。
アメリカで「My Blue Heaven」が発表されたのが1927年、日本語版の発売が1928年といいますから、「Shangri-la」でアーサーが体験している時代と、それほど大きな違いはないはずです。
これらの曲で歌われるような、外ではどんなに辛いことがあっても、また、日々の生活に追われていても、家に帰れば幸せ、という生き方は、人間が大昔から求めてきたひとつの理想的な人生像でしょう。
日本でも、また世界的にも、20世紀の前半から中盤あたりまでは、このような人生観がまだまだ主流だったのだと思います。
話は余談から更に飛躍してしまいますが、最近の日本を見ると、この辺の価値観が随分と薄れてきてしまっているなあという印象です。
家族への帰属意識の希薄化、或いは家そのものに対する愛情の欠如。
ひょっとすると、そうした諸々が、近年異常に多発する痛ましい虐待や、尊属殺人に繋がっているのかな?という気がして仕方ありません。
ありきたりな表現で恥ずかしいですが、生活は苦しくても心は豊かだったアーサーの時代とは全く逆の時代に、現代はなってしまったのかなあという気がします。
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誰もがオーストラリアで暮らせる機会が到来したよ
君が若くて健康ならば
ボートに乗ってオーストラリアへ来ない手はないぜ
オーストラリア、生涯のチャンス
オーストラリア、働きがいもある
誰も肩肘張って生きなくていいんだ
オーストラリア、階級差別もない
オーストラリア、麻薬中毒もない
誰もケンカ腰で生きなくていいんだ
アメリカ人がするようにサーフィンをしよう
休暇にはシドニーまで飛んでいこう
日差したっぷりのクリスマス
オーストラリア、オーストラリア
誰もが人生を謳歌できる単純明快な国だよ
君が若くて健康ならば
ボートに乗ってオーストラリアへ来ない手はないぜ
オーストラリア、シャララララ
オーストラリア、シャララララ
みんなが周りにいて憂鬱になってる暇なんてないよ
アメリカ人がするようにサーフィンをしよう
休暇にはシドニーまで飛んでいこう
日差したっぷりのクリスマス
オーストラリア、オーストラリア
イギリスには多くの貧困者や孤児、あるいは囚人がいて、国家はこれを養いきれない。
一方のオーストラリアは国土の割に人口が少なく、労働力となる移民を積極的に受け入れたい。
両者の思惑が一致して、イギリスからオーストラリアへの人口の流入は過去数世紀にわたって続けられてきました。
1828年には大英帝国の植民地となったオーストラリアでしたが、1901年に独立。
しかし、その後もオーストラリア国王はイギリス国王と同一人物(ちなみに初代国王はヴィクトリア女王)という状態が、現在に至るまで続いていますから、両国の関係は20世紀以降も密接なままのようです。
そんなオーストラリアへ渡って、素敵な人生を手に入れよう!と歌うのがこの曲です。歌っているのは、そうするとイギリス政府か、政府から委託された国策企業といったところでしょうか。
物語の中で、このオーストラリア移民奨励キャンペーンに乗って、彼の地へ渡ろうとするのは、アーサーの息子夫婦(デレクとリズという名前らしい)ということになっていますが、アルバムの曲が時系列で並んでいるとするならば、実際の移住はまだまだ先の話です。
ところで、曲中では理想郷のように歌われるオーストラリアには、本当にそんな夢のような暮らしが待っていたのでしょうか。
そのひとつの答えとなるかどうか、ここには2009年11月にアップされた、次のニュースを転載しておきます。
英スカイ・テレビ(電子版)は15日、白人移民の増加を望んでいたかつてのオーストラリアに対し1940〜50年代、英政府が児童施設の子供を選抜しては国策として送り込んでいたとして、ブラウン首相が近く公式に謝罪すると伝えた。
当時の英政府は、児童施設の予算確保に苦しんでおり、豪州の要望は「渡りに船」だった。総勢1万人近い子供がだまされて送り込まれたとみられている。(2009/11/16) 時事通信
自国の子供を自力では養えないほどの国力の低下。
それを威勢の良い甘い言葉で隠しながら、国民に移住を奨励する国家。
そうしたイギリスの裏側の歴史を頭に入れた上で改めて聴けば、一見楽天的に聴こえるこの曲にも、しかしながら「Yes Sir, No Sir」あたりと同じ、支配者階級による庶民いじめに連なる内容が隠されていることが分かってきます。
さて、既にこの「アーサーを読み解く」シリーズの序章のところに書いた通り、本作品の主人公アーサーにはモデルがいて、それはデイヴィス兄弟の姉ローズと結婚したArthur Anning氏。
デイヴィス兄弟にとっては義理の兄にあたるわけですが、特にレイは若い頃、この夫婦の家に頻繁に入り浸っていたということですから、人の好き嫌いが激しそうな彼にしては、まずまずの好感を持って接することのできる相手だったようです。
ところが、1960年代に入ると(資料によっては64年)、この義兄は突如として、一家を挙げてオーストラリアへ移住してしまいます。
このあたり、ちょっとややこしい話ですが、「アーサー」のアルバムの中で、オーストラリアへ移住しようとするのはアーサーの息子夫婦。しかし現実にオーストラリアへ移住したのはアーサー夫婦自身です。
彼らのオーストラリア移住は、レイにとって相当にインパクトのある事件だったとみえて、後年「アーサー~」アルバムへと結実するのですが、実はアルバム以前にも、彼はこれを題材にした曲を一曲書いています。
「Face to Face」に収められていた『Rosie Won't You Please Come Home』です。
曲中のRosieというのは、勿論アーサーと結婚したローズ・デイヴィスのことですね。
この曲、邦題では『ロジー、家に来ないかい』となっていて、タイトルだけ見ると、まるで恋人を家に誘ってるような印象ですが、歌詞を読めば「ママは君がどこに行ったのかを知らない」「君の部屋は綺麗なまま、誰にも入らせていない」「もう一度幸せな家庭が戻るなら、僕は何でも犠牲にする」といった言葉の端々から、かつては家族の一員だった女性(娘あるいは姉?それとも嫁?)に対して「ロジー帰ってきておくれ」と訴えかけていることが明白です。
そのあたり、娘夫婦の大陸移住に寂しさを募らせる父親の心情とも読み取ることが出来そうで、そうしてみると、この曲も、一連のアーサー譚のエピソードとして、アルバムとどこか繋がっているようにも思えます。
「Face to Face」の発表は1966年のことですから、「アーサー~」アルバムが制作される3年ほど前ですが、レイの中では、後に着手することになるロック・オペラのアイデアは、実はこの頃から芽生え始めていたのかもしれません。
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お前はまったく人間みてえだけど
心はお前のものじゃねえ
そう、お前は話ができるし、呼吸もできる
お前の仕事、刺繍や裁縫だってできる
だけどお前は洗脳されてる
そうなんだ、そうなんだぜ
そこに膝まづいてみな
お前には仕事がある、家がある
カミさんにガキども、それに車
そりゃそうさ
お前は奴らの思いのままになるように
条件づけられてるんだからな
それにお前が自分の居場所に満足するようにもさ
そうなんだよ
そこに膝まづいてみな、膝まづけったら
貴族と官僚は薄汚いネズミだぜ
お前みたいな人間を作り上げるんだからな
奴らは高みにいて、お前はこんなどん底にいる
お前はこんな地べたを這っているってのに、
奴らは星と一緒にお空に浮かんでるのさ
お前は一生涯、奴らにこき使われて苛められる
お前が使い物にならなくなっちまうその日までな
奴らにとってはお前なんか汚れたシミみたいなもんだ
だけど、お前はそれ以上を望もうとしないってんだな
だんな、あんた洗脳されてるぜ
奴らはお前に社会保障とか
満期になると戻ってくる節税給付金をくれる
お前は奴らの思いのままになることに
満足しているんだな
それに奴らの思い通りに動くことにも
そうなんだ、そうなんだよ
そこに膝まづいてみな
ま、一言でいえばブリティッシュ・パンクです。
イギリスで生まれ育った者以外には理解できない、階級間に流れるこの敵意に満ちた複雑な感情。
ピンク・フロイドなども曲にしているように、イギリスには「us and them」という特有の言い回しがあって、それはつまり「us=労働者階級(俺たち)」と「them=支配階級(奴ら)」であるわけですが、先に『Yes Sir, No Sir』でも見た通り、異なった階級の間の溝の深さは尋常じゃないらしく、イギリスには「二つの国民」が住んでいるとまで言われています。
ひょっとしたらレイ・デイヴィスは、このアルバムをイギリス以外でリリースするつもりがなかったんじゃないか?と思わせるほどの、異国人には分からない、階級意識むき出しの1曲であります。
もちろん歌詞を読めば、言いたいことは分かります。
どこかの国にも「定額ナントカ金」とか「子供カントカ」というのがあったように、為政者が社会保障や給付金で国民を手なずけるというのはよくある話です。
しかし、生れついた階級によって、言葉やアクセント、居住地区、進学できる学校から職業まで、全て区別されているという、イギリスのディープな社会構造を暗に示したこのような歌は、やはりその社会で生きている人間にしか理解できないものでしょう。
僕の記憶違いでなければ、この「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」のアルバムは、イギリス人にはリアル過ぎて不快な部分もある、という話をどこかで聞いた気がしますが、これなどはその典型的な一曲でしょうね。
「アーサー」の劇中歌としては、主人公は持って生まれた純粋な心を戦争によって踏みにじられ、これを苦にして現実逃避をし、自暴自棄の果てに、遂には支配階級に懐柔されて従順な一市民として生きることに何の疑問も抱かない人物になってしまう。
それを「us」のひとりである何者かが「お前は洗脳されてるんだ」となじっている、という理解でいいのかなと思います。
歌詞の2つめのブロックには「お前にはカミさんとガキどもがいる(a wife, and your kids)」という言葉があって、アーサーが家庭を持ったことが分かるようになっています。
また、これまで書いて来ませんでしたが、ドラマ版の設定では、アーサーの職業は絨毯職人ということにされていまして、これを暗示するのが、最初のブロックにある「刺繍や裁縫だってできる(you can stitch, you can sew)」という歌詞ですね。
そもそも絨毯職人のことを知らなければ、歌詞を見て「何でいきなりお裁縫?」と疑問に思った方もいたのではないでしょうか。
それはともかく、家族や職業が明かされたことで、ここに至っていよいよ、労働者階級として生きる「市民アーサー」の素顔が現れてきたなという感じがします。
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なんだか世界中がいさかいを起こしてるみたいで
みんな戦争についてああだこうだ言ってるよ
でも、ロシア人とか中国人とかスペイン人なんかには
勝手に争わせておけばいいんじゃないのかなあ?
だって太陽がこんなに眩しいんだし
僕たちはドライブに行こうよ、ドライブに
仕事なんてほっぽり出して
悩みもみんな忘れちゃってさ
さあ、僕の車に乗りなよ
僕とドライブに行こうよ
サンドウィッチは包んだし
お茶もポットに入ってるよ
ビールだってグズベリーのタルトだって
こんなに沢山積みこんでるんだ
だから、ドライブに出かけようよ
良かったら君のママも誘いなよ
草の原っぱで食事をしよう
甥っ子も従兄弟も、兄さんも姉さんもみんな忘れてさ
僕たちがいなくても誰も寂しがるわけないじゃない
だって僕たちはドライブに行くだけなんだから、ドライブにさ
何千本もの木々や
何百もの野原
何百万という鳥だって見れるんだよ
さあおいでよ、僕とドライブに行こう
牛に話しかけてみよう
羊を見て笑ったり
草の上に寝転んだら
ちょっとウトウトしたっていいかも
だから、ねえドライブに行こうよ
僕らの周りのいがみ合ってる世界なんて
全部スパっと忘れられるさ
借金の取り立ても
質屋の取り立ても
おととい来いって言いたいね
て言うか、誰も僕らを見つけられやしないよ
だって僕たちはドライブに行くんだから、ドライブにさ
バーネットの教会を過ぎて
ポッターズバーまで足を伸ばそうかな
そんなに遠くまで行くわけじゃないから
帰りも遅くならないよ
だから僕とドライブに行こう、ドライブに行こう
ドライブに、ドライブにさ
「Yes Sir, No Sir」で小突きまわされ、「Some Mother's Son」で兄弟を失ったアーサーは、遂に現実逃避に向かったということでしょうか、全ての争いごとから逃げ出して、恋人をドライブに誘います。
歌詞の中の「スペインが戦争をしている」という記述に注目すると、この歌の時代背景は1925年頃じゃないかと推測されます。
20世紀前半にスペインが関わった戦争は1920〜26年のスペイン・モロッコ戦争と、1936年〜39年にかけてのスペイン内戦。
ただ、この歌の主人公がアーサーであるとするならば、1936年以降では彼は40歳を過ぎてしまうから、これは時代が下り過ぎ。
となれば、これはスペインがモロッコと戦っている頃の話なんじゃないか、となるわけです。
すると一方では、イギリスではそんなに昔から、一般人がドライブを楽しむほどの自動車社会になっていたのか、という疑問も湧いてくるのですが、参考までにこちらサイトを覗いてみると、どうも1920年代というのは、自動車産業及び交通網というものが、イギリスのみならず世界中で爆発的に発達した時期だったようです。
そうしてみると、レイ・デイヴィスは「アーサー」というこの歴史絵巻の中にあって、時代が自動車全盛期に入ったことを、この曲において暗示したかったのかも、という見方をするのはちょっと飛躍のし過ぎでしょうか。
さて、話はガラリと変わります。
実は、僕はこの『DRIVIN'』という曲こそが、キンクスというバンドの立ち位置を示す、最高のサンプルであると思っているのです。
『DRIVIN'』は、1969年10月の「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」アルバムの発表より前の、同年6月に先行シングルとしてリリースされました。
ということは、リスナーはその当時、アルバムの情報も何もなしに、キンクスの新曲としてこれを聴かされたことになりますね。
アルバムが発表された後になれば、この曲はアーサーの物語の一部なんだと、「アーサー」の時間軸を意識して聴く事が可能です。しかし、6月のシングル・カットに際して、予備知識もなく曲を聴いたリスナーは、一体何を思ったでしょう。
出だしの数フレーズを聴いた者は、恐らくみな一様にベトナム戦争を想起したと思います。
そして、ベトナムを想起したリスナーは、キンクスのこの曲を、こんな風に受け取ったんじゃないでしょうか。
アメリカがベトナムでやらかしている戦争は泥沼化しつつある。
これは決して良い事態じゃない。
それはもちろん分かってる。
「でも…」
でも、今日はいいお天気だからドライブに行こうよ。
1969年、ジョン・レノンはヨーコとのベッドイン・イベントで、ベトナム反戦を訴えました。
ストーンズはその前年に、アメリカの「長く暑い夏」と言われた黒人暴動を助長するかのような『STREET FIGHTING MAN』を発表し、69年の『GIMME SHELTER』でも戦争のイメージを提起しました。
同時代のミュージシャンが、何らかの形でベトナム戦争をはじめとした世界の暗部に異議申し立てをする中にあって、レイ・デイヴィスが歌ったのは、なんと「見て見ぬ振り」の歌だったのです。
賛否両論あるでしょう。
むしろ、否定的な声のほうが大きいかも知れません。
でも、これがレイ・デイヴィスの終始一貫した姿勢なのです。
「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」氏や「トミー」氏のようなカリスマでも何でもない、「一般大衆」の側に立つ彼は、当たり前の人間が、当たり前に考えることを歌にします。
1969年当時、ベトナム反戦に声をあげていたイギリス人は、一体何人いたでしょう。
もっと言えば、曲の発表から40年を過ぎた今、イラクやアフガニスタンで起こっていることを知りながら、それに対して行動を起こす日本やイギリスの「庶民」の数は、一体どれほどのものでしょう。
僕だってイラクやアフガンやイスラエル、コソボやミャンマー、その他政情不安定な国々で暮らす人に、早く平和が来ればいいとは思います。
でも、そうしたことに後ろめたさを感じながらも、もしも今日、天気が良ければドライブに行きたいと思ってしまう。
レイ・デイヴィスが、遠い昔に自分自身の命題として掲げたのは、僕のような何でもない人間を代弁することだったのだと思います。
僕たちがキンクスの歌に、不思議な人間臭さと親近感を覚えるのは、それはつまり彼らの歌が、とりもなおさず「僕の歌」だからなのかも知れません。
読んでくれてありがとう!
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