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松村雄策さんの死に寄せて

「Something Else by the Kinks」と「The Kinks Are The Village Green Preservation Society」は、そのタイトルを聞いただけで、笛や太鼓でもって街中を踊って回りたくなってしまうのだ。


いまにして思えば、Rockin'onに載っていた、その人が書いたそんな一文が、すべての始まりだったような気がします。


それから僕はキンクスを聴き漁り、その人の本を買い漁り、 その人の著作に刺激を受けて、アビーロードやジム・モリソンの墓に行ったりしながら、果てはこんなキンクスメインのブログまで書きはじめるに至ったのだから、その人から受けた影響は、それはもう計り知れないのです。

 

ともすれば怜悧な社会分析にまで踏み込もうとする数多の音楽評論の中にあって、その人の文章には僕たちと同じ日常が息づいていました。
その人の文体は僕たちと同じ体温を持っていました。
そしてその体温はとても温かいものでした。

 

恥を承知で言えば、このキンクス日和の文体も、実はその人の語り口を模したものなのです。
もっとも僕には、その人の様に上手に書くことは遂に出来なかったのだけど。

 

3月12日、その人の訃報が流れたけれども、彼の文章がいつもそうだったように、僕も前を向いて考えようと思います。
あちらの世界に旅立った今頃は、早速ジョンやジム・モリソンの元に駆けつけて、熱心にインタビューでもしているのでしょうね。
もちろん音楽評論家としてなんかじゃなくて、少年がそのまま大人になったような、純粋ないちロックファンとして。

 

松村雄策さんの訃報に接し、心から哀悼の意を表するとともに、生前の氏の活動に深く感謝申し上げます。

あなたが紡いできた数々の言葉は、今でも僕の心の一部です。

| Complicated Life | 18:13 | comments(0) | - | pookmark |
ミッション・インポッシブル
ずっとブログ更新をサボってる間も、それでも海外のキンクスサイトには、一応ざっとは目を通してました。

あくまでも「ざっと」なので、見落としは多分あるのでしょうが、そういう斜め読みのニュースの中でも、僕が最近、もっとも心惹かれたのが、Dave Emlenさんのキンクスサイトに出ていたこの書き込みでした。

There's a large Kinks poster clearly visible in a UK record store scene early on in the new "Mission: Impossible, Rogue Nation" movie.
『今度の「ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション」の冒頭に、イギリスのレコードショップのシーンがあって、そこにキンクスの大きなポスターが、はっきりと映り込んでいる』

みなさんどうですか?これ?
狙ってるんでしょうかね、この映画?
キンクスファン取り込みミッション?

いやいや、そんな訳は絶対にないんだけれども、だけど、こういうのに僕はやられちゃうわけで。

そもそも、最近トム・クルーズが来日して、テレビに出たり、インタビュー受けたりして、さかんにこの新作の宣伝してましたけど、そんなあれこれのプロモーションには、僕は一切興味がわかなかったのね。
でも、画面に映り込んだ、たった1枚のポスターによって、いとも簡単に映画館に足を運ぼうという気にさせられてしまうというね。
我ながらものすごい単細胞ですが、それにしても、いやあ、そんな奴がいると知ったら、トムもさぞかし気分を害するのでしょうね。
なんか申し訳ないです。


これだけサボって恐縮ですが
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| Complicated Life | 21:46 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
運命は扉なんか叩かない (みたいです)
ご無沙汰ぶりでございます。

ざっと40日ぶりくらいでしょうかね?
以前からキンクス日和をお読みいただいてくださる皆様には、このところの更新の怠りようを、不審に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
どうも申し訳ございませんです。

詳しいことを申し上げるのは差し控えさせていただきますが、実はわたくし、ただいまキンクスが活動を停止した頃のレイ・ディヴィスと同じくらいの年齢に至りまして、人生でそう度々起こることのない、激動期の只中に放り込まれております。
それゆえに、ブログの更新もままならない状況に陥っておるのです。


いやいや、人生の岐路といいますか、「運命」というのは、まさにいきなりやって来るものです。

その昔、寺山修司という作家の方がおりまして、確か彼のエッセイだったかと思うのですが、ベートーベンの第五番『運命』を遡上にあげて、「運命はジャジャジャジャーン!なんて扉を叩くようなことはしない。いきなりやって来るのだ」というようなことを書いてまして、まあ、その頃は私も若かったので、おおお!っと感動したものですが、時を経て、今まさにその言葉の正しさを痛感している次第です。

そう言えば、レイ先生も『Life Goes On』の中で、同じく「運命ってのはいきなりやって来るもんだ」と歌ってましたけれども、私の場合はそれがほんの二ヶ月くらいの間に、二つも三つも、まとめて来やがりましたおかげで、何というか、今はとってもアワアワ状態なのであります。


さて、なに言ってるか分からない話をこれ以上してても仕方ないので、最後にちょっとだけ、キンクスの動きを。

…とは言うものの、この1ヶ月、大した話題はありません。

レイ先生は相変わらず「Americana」のプロモーションに忙しく、たまにインタビューなどを受けているみたいです。
一方、デイヴ先生はというと、お兄ちゃんの言いつけ通り、新曲でも書いてるんでしょうか、あまり話題に登場してませんねえ。

で、そんな中でちょっと気になるのは、Sunny Afternoonミュージカルの話題でしょうか。
なんでもレイ先生の人生をベースにしたミュージカルだそうで、来年にはロンドンのハムステッド劇場で公開予定とのこと。
まあ、数年前のCome Dancingミュージカルにも縁のなかった私たちには、今度も無縁の舞台になりそうですけどね。


というわけで、キンクス日和、今回はろくな話題がなくて申し訳なかったうえに、次回の更新がいつになるか分からないという、なんとも心もとない状況でありますが、またいつかお目にかかる日を楽しみに!


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| Complicated Life | 23:21 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
My Mummy's Dead



 僕のお母ちゃん死んじゃった
 きちんと受け止められないし
 もう何年も前のことだけど
 僕のお母ちゃんが死んじゃったんだ

 なんて言えばいいのかな
 ものすごく心が痛むんだ
 そんなことおくびにも出せずにいたけど
 僕のお母ちゃんが死んじゃったんだ


あまりに赤裸々で、悲痛過ぎて、普段は敬遠しがちなアルバムなのですが、時にはこうした重苦しい作品に、助けられることもあるのですね。

極めて個人的な話です。
| Complicated Life | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Too Much On My Mind


 心にかかることが多すぎて
 心にかかることがあまりに多すぎて
 それを思うと夜も眠れない
 いつも考えてる
 思うことがあまりに多くて
 この気持ちと共に生きることは出来そうにない

 心にかかることが多すぎるのに
 それを打ち明ける言葉が見つからない
 心にかかることが多すぎるのに
 どうすることも出来ないんだ
 どうすることも…

 その想いは僕を打ちのめし
 地面に僕をたたきつける
 僕は死ぬほどに悩み続ける
 その思いが頭を巡ると
 僕は取り乱し
 もう元へは戻れない

 心にかかることが多すぎるのに
 それを打ち明ける言葉が見つからない
 心にかかることが多すぎるのに
 どうすることも出来ないんだ
 どうすることも…


あれから2年が経ちました。
この間、僕に何が出来ただろうかと考えると、結局何も出来ていないのです。
本当に僅かばかりの募金をして、東北の物産を少しばかり消費して、思いつくのはそんなところです。

被災地への思いはあります。
でも、具体的に何かしなければと考えつつも、何も出来ていないのです。

テレビを見れば、沢山のボランティア、自分の故郷を再び活性化させようと奮闘する地元の方々、被災地を励まし続けるタレントたち。
そして振り返っては、何もできない自分の非力さに失望します。

だから、何もできない僕であるならば、せめて忘れないでいようと思います。
被災された地域のことを。
そして、僕はあの時何を見て、何を感じたのかということを。
それを心の奥深くに留めておこう。

そうすることが、何の役に立つのかは分からないけれども、だけど、それを忘れてはいけない気がします。
過去を忘れないでいることが、逆に未来に繋がっていくような気がします。

二年目の3月11日に、被災地の一日も早い復興を祈りつつ。


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| Complicated Life | 21:15 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ダウンロード厳罰化で音楽ブログは衰退しました
基本的にヘタレなので、お上に楯突こうなどという気持ちはサラサラないのだが、昨日(10/1)から改悪された著作権法、所謂「違法ダウンロード刑事罰化」とか呼ばれるアイツはダメだ。意味分かんない。

政府広報オンラインとやらを見ると、法のあらましは概ねこんなこと↓であるらしいのだが、

▲平成24年10月1日から著作権法が変わります
▲違法なインターネット配信から、販売または有料配信されている音楽や映像を、自らその事実を知りながら、著作権者に無断でダウンロードするような「違法ダウンロード」(録音・録画)が、新たに刑罰の対象となります
▲違法ダウンロードは、音楽や映像などを創作した人などの正当に得るべき利益を損ない、新しい作品の創作などを妨げ、ひいては文化の発展に悪い影響を与えます
▲音楽や映像を違法にダウンロードしないようにするためには、「エルマーク」がついているサイトなどの正規の配信サイトを利用しましょう
▲また、個人的に利用する目的であっても、コピー防止機能がついているDVDを自分のパソコンなどに取り込む行為(リッピング)は、新たに違法となり、また、このようなコピー防止機能を解除するプログラムなどを作成や譲渡などした場合が刑罰の対象となります

違法性のガイドラインが非常に曖昧であって、これではいたずらにユーザーの不安を煽るだけだ。
現にネット上では、様々な立場の人が様々なことを言い合っていて、一体何が真実なのか一向に分からず混迷している。

法の要旨を超簡単にまとめると、
有償で提供されている音楽や動画を、違法な配信と知りながらダウンロードする行為が処罰の対象となり、これに違反すると2年以下の懲役または200万円以下の罰金
ということなのだが、じゃあYoutubeはどうなんだとか、テレビ番組の保存はどうだとか、CDのコピーはいかんのか、とかいう議論が、際限なく繰り広げられている。


まあ、僕のところはYoutubeの貼り付けや、向こうの新聞記事を勝手に訳して掲載したりしている極悪ブログなので、著作権に関してはあまり大きなことは言えないんだけれども、しかし、それによって「音楽や映像などを創作した人などの正当に得るべき利益を損ない、新しい作品の創作などを妨げ、ひいては文化の発展に悪い影響を与え」る気持などは毛頭ない。
むしろその逆を狙っているつもりである。

先の政府広報でチャンチャラ可笑しいのは、
“著作権法によって、音楽や映像を創作したアーティストや制作会社などには、その音楽や映像についての著作権が与えられます。これにより、通常、音楽や映像がCDやDVDとして販売され、または有料配信されると、それを創作したアーティストや制作会社のもとに収入としてお金が入り、この収入により得られたお金で、さらに新しい作品を創作したり、次世代のアーティストを育成したりすることなどができ、より豊かな文化の創造につながることになります” という記述だ。

つまり「文化の創造」は金次第ということなんだな。
それでは「握手券」とやらの封入で、ジャブジャブ儲けている某国民的アイドルのブレーンは、さぞや素晴らしい文化を創造してくださることでしょうね。
しかし、その豊かな文化の創造を阻害する要因が、違法ダウンロードというのは、これは少々短絡的に過ぎると言わざるを得ない。

その昔キンクスなんかは、アメリカから締め出されて、レコードも全然売れなかったけど、それでも素晴らしい文化は創造したぞ。
それを考えたら現代の日本で、豊かな文化が創造できないのは、これは違法ダウンロードのせいなんかじゃあ、全然ないじゃないか。


いずれにしても法律は施行されてしまった。
この法律の影響は、うちのブログにも少なからず出てくると思う。
これは非常に自分に甘い解釈ではあるのだが、どうやらYoutubeの貼り付けだけならOK。読んでくださってる皆さんも、視聴するだけなら違法とならない。ただし、その動画をPCに取り込むのは違法ということらしいので、今後についてはできるだけその方向で書いていこうとは思っている。
それでもやっぱり窮屈なことには違いない。

僕ももちろん、他人の著作権を侵害する行為は違法であると考えるし、海賊版の販売などには、どちらかと言えば昔から反対の立場だ。
しかし、ネットの自由度にまでメスをいれてきて、ユーザーを萎縮させる行為には、はっきりとした違和感を覚える。
今回のこれを受けて、色んなブログなどでは、記事の内容を自重する動きも出ているようなのだが、いずれACTAも動き出せば、自重どころで済まなくなることは目に見えている。
音や映像なくして、音楽を伝えるブログなどは手足をもがれたも同然となることは必至。全滅に近い惨状となろう。

例えば日本のアニメや、きゃりーぱみゅぱみゅの海外での高評価も、ネットによる世界中への拡散なくしては、あり得ない現象ではなかったか。
そうしたプラス面に目を向けず、何とも曖昧模糊とした著作権を守るためにネットを殺すとは、「より豊かな文化の創造」が聞いて呆れるではないか。


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| Complicated Life | 23:17 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ビージーズとかビーチボーイズとか
むかし、グラハム・ナッシュがクラブで飲んでいる時に、ものすごい美女から「一緒に踊ってくださらない?」と誘われたのだけれども、彼は色香に迷うことなく、即座に「ロッカーは踊らないんだ」と言って断った、という逸話を読んで、そのカッコよさに卒倒しそうになったものだから、僕はそれ以来、ロッカーは踊らないものだと信じ切っていた。
だから、「メロディ・フェア」とか「マサチューセッツ」の頃ならともかく、ダンスナンバーが中心となった後のビージーズには、何の興味もなく最近まで過ごしていたのだ。

ところが、この前の日曜日に、ちょっと図書館に立ち寄った時に、CDのコーナーを見ていたら、ビージーズの「グレイテスト・ヒッツ」というのが目に留まって、



その時になぜだか「聴かず嫌いはいかんなあ」とかいう考えが頭をよぎり、柄にもなくこれを借りてきた翌日に、このたびのロビン・ギブの訃報である。

思えば、こういうことはマイケル・ジャクソンの時にもあって、そのことは当時、このブログでも記事にしている。
僕はそもそも霊感などこれっぽっちも持ち合わせてはいないけれども、ちょっと妙な気分ではある。

ところで、ロビン・ギブといえば、晩年は『Heritage Foundation』という団体の代表になったりして、社会的な活動も行っていたようだ。
イギリスの各地には、その土地にゆかりの人物を記念した「ブルー・プラーク」という、標識のようなものが建っていたりするけれども、この設置を推進するのも『Heritage Foundation』の活動のひとつである。
それで、去年の10月には、デイヴィス兄弟やピート・クエイフの母校である、マスウェル・ヒルのFortismereという学校に、そのピートのプラークを設置してもらったりしている。
だから、僕は、クモの糸のように細くて薄ーい縁だけれども、ロビン・ギブには、そのことでほんのちょっとだけ感謝したりしているのだ。


CDの話に戻るけれども、どうもこういう音楽は踊りながら聴かなきゃならんという先入観が長いことあって、それでこれまで見向きもしなかったのだけれども、実際聴いてみたところ、何と申しますか、これって踊らなくても聴ける音楽なんですね。
歩きながらでも普通に聴けます。
…まあ少しステップがおかしくなったりもしますけど。
やはりディスコ転向前までの、色々な音楽的蓄積のなせる技なんでしょうかね?
ちょっとした新発見でした。

改めて、ロビン・ギブさんのご冥福をお祈り申し上げます。



さて話変わって、このところ、一向に面白くない世を忍ぶ仮の社会人生活を送っている間に、世間ではこんなことになっていたんですね。



ブライアンのいるビーチ・ボーイズの新曲が「That's Why God Made The Radio(神の創りしラジオ)」なんて、もうこのタイトルだけでドンブリ3杯いけそうです。

同名のアルバムの方も、6月5日に発売ということで、ああ、もうその頃にはこのクソ面白くもねえ毎日が終わっているのね!

早くその日が来ることを夢見て。
それじゃあ、また。



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| Complicated Life | 19:52 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
妖精と死んだ鍋、その他のことなど
前回の記事で少しだけアイルランドに触れたら、その昔、結構な勢いでアイルランドにハマっていたことを思い出しまして、それで司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」やら、W.B.イェイツの「ケルト妖精物語」やらを、またぞろ引っ張り出してきて、パラパラとページをめくり出しています。

行ったことないですけど、アイルランド面白いです。
それから、本で読む限りでは、不思議と日本と似ていたりします。

イェイツの著作は19世紀のものなので、今はどうなのか分かりませんが、当時のアイルランド人には、昔の日本人が持っていたと同じような、不思議な感性が備わっていたようです。

例えばイェイツが田舎の漁師町に行って、地元の人に「あなたは妖精を信じますか?」と尋ねるんですが、それに対して老いた漁師は「奴らには困ったもんだよ」と答える。
つまり、これはもう信じるとか信じないとかいう次元じゃなくて、彼らにとって妖精なんていうのは、いて当たり前。日常の一部だったんですね。
このあたり、文明開化以前の日本人が、怨霊とか妖怪の存在を、当たり前のものとして受け止めていた、その感覚に近い気がします。
そう言えば「怪談」を書いたラフカディオ・ハーンも、元々アイルランドの人だったわけで、やっぱりこの二国間には、どこか相通じるものがあるようです。

伝統的なアイリッシュ・ダンスに、上半身を全く動かさずに脚だけで踊る「ステップダンス」というのがあるんですが、これは何でこんな踊りが生まれたかというと、アイルランドは1600年代にクロムウェルに征服されてからというもの、その伝統的な文化とか娯楽というのが、全部禁止されてしまうんですね。
踊りたくてもイギリス軍の監視があるから踊れない。
そこで、窓から覗かれても踊っているように見えない、こんな足だけのダンスが誕生したんだそうです。

そんな風に蹂躙された歴史が長いために、アイルランド人は基本的にイギリスが嫌いで、だからその昔、日本が戦争でイギリスの敵国になった時には、アイルランド人は密かに日本を応援していて、それ以来、今でも親日家が多いそうです。
まあどこまで真実なのかは分かりませんが。



司馬遼太郎は「愛蘭土紀行」の旅程の中で、アイルランドに渡る前に、リバプールに立ち寄るんですが、そこでビートルズを引き合いに出して「Dead Pan Joke」という、アイルランドに特有の冗談について言及します。

「Dead Pan Joke」。司馬さんはこれを「死んだ鍋」と訳しましたけど、これは一種の皮肉な言い回しのことであって、冗談の中に相手を凍りつかせるような鋭い一言を入れるやり方。
例えばリンゴで言えば、記者会見の席での「ベートーベンをどう思いますか?」という質問に対する「好きだよ、特に彼の詩がね」という切り返し。
ジョンで言えば、ロイヤル・バラエティ・パフォーマンスでの「安い席の人は手を叩いて。そうじゃない人は宝石をジャラジャラ鳴らして」みたいなMC。
こういうのが「Dead Pan Joke」なんだそうです。
すると、ビートルズがMBN勲章を受勲した際に、旧軍人や何かが騒いだ時のジョンの「人を殺して貰ったんじゃない。楽しませて貰ったんだ」なんてのは、これはもうDead Pan Jokeの最高傑作であって、こういうのはなかなか真似したくても出来るもんじゃないです。

しかし、こういうのを見ると、ビートルズってリバプールのグループと言われていて、勿論それはそうなんだけれども、根っこのとこでは、やっぱりアイルランド系の人達の集まりなんだな、というのが良く分かります。
感性がね、非常にアイリッシュっぽいです。


その昔、アイルランドの貧しい人々が海を渡ってアメリカに移住して、そこでも貧しい暮らしをしながら、故郷を思い出して歌を歌う。
これがやがてカントリー・ミュージックの源流になる。
それで、そのカントリーやブルーグラスが、ゴスペルやジャズやブルースと結びついて、やがてロックに成長していったというのが、僕のものすごく大雑把な理解です。
すると、ロックの大いなる源流のひとつはアイルランドにあるわけで、そうして考えると、アイリッシュの流れをくむビートルズが、ロック史における重大事件になったというのにも、やはり偶然じゃない何かを感じます。

頭の中には色々あるのに、上手く書けなくてもどかしいんですが、やっぱりアイルランド面白いです。
久々にまたハマりそうな気がしてます。


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| Complicated Life | 20:58 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
盗まれた子供
世の中に腹の立つことというのは、それは沢山あるけれども、中でも一番腹立たしいのは、残念なことに毎日のように報じられる子供の虐待だ。

これはもう単に「腹立たしい」とかいうレベルを超える。
こういうのをニュースで見たり、新聞で読んだりしていると、腹の中から怒りとも悲しみとも、自分でもなんだか分からない感情が噴出してしまい、心もポキポキ折れてしまって、もう胸の内というか、五臓六腑が痛くて仕方なくなる。
正直へこむ。

聞くところによると、赤ちゃんってのは、お母さんのお腹にいる間に、一生懸命に笑顔を作る練習をするんだって。
生まれてきたらニコニコ笑って、周りの人に可愛がってもらえるように、そういう練習をしてるんだって。そんな話をどこかで読んだ。
もちろんそれは本能であって、本人が意識してやっているわけじゃないんだけれども、神様は、だからそういう風に子供を作ったんです。みんなから可愛がってもらえるように。

それを、本来なら一番守ってもらわなければならない立場の親であるとか、あるいは多くの場合、その同居者に踏みにじられるというのは、これはなんとしても許し難い。

もちろん異論はあるでしょうが、僕は、子供を殺めた人間というのは、これはもう迷うことなく極刑でいいと思っています。
大人同士の場合は、まあ死に至らしめたとしても仕方が無いというような事情が、情状酌量の余地のある事案が、時に起こり得るかもしれません。
でも、子供に関しては、それはない。
子供を傷つけ、最悪殺すことに、正当な理由なんてものはない。

子供を殺すということは、その子に与えられた未来を丸ごと潰してしまうということだ。
それは大人を殺すよりも、何倍も罪深いことじゃないだろうか。


世界中に伝わる数々の妖精譚の中に「取り替え子(Changeling)」という系譜があります。
アイルランドに取材して多くの妖精物語や詩を書いたウィリアム・バトラー・イェイツによると、妖精はすやすやとベッドに眠る人間の赤ん坊を、妖精の中で瀕死の者であるとか、場合によっては魔法をかけて人間に似せた木の枝などと、こっそり交換してしまうそうです。
入れ替わった方の妖精や木の枝は、すぐに衰えて死んでしまう。
一方、連れ去られた方の子供は、妖精のもとで召使にされるとも、或いは優しい妖精たちに囲まれて、幸せに暮らしているとも言われています。

そのイェイツが、この取り替え子の伝承を下敷きにして書いた詩が「盗まれた子供(The Stolen Child)」です。

 スルース・ウッドのごつごつとした高嶺のふもとが
 水面に浸るみずうみに
 葉の生い茂った島がある
 青鷺が羽ばたき
 眠たそうな水鼠を目覚めさせる場所
 そこには野苺や
 盗んできた真っ赤な桜桃の入った
 俺たち妖精の桶が隠してある
 おいで人の子よ
 水辺へ そして原野へ
 妖精と手に手を取って
 この世界はおまえの知らぬ
 深い悲しみで満ちている

この19世紀に書かれたノーベル賞作家の詩に、ウォーターボーイズが曲をつけた同名の楽曲が、彼らがアイルランドに深く入り込んだ、1989年の素晴らしい「Fisherman's Blues」に収録されています。



19世紀のアイルランドを遠く離れた現代の日本には「この世界はおまえの知らぬ、深い悲しみで満ちている」どころか、深い悲しみしか知らない子たちも沢山いる。

もしも、幼くして失われた命が取り替え子のものであったなら、本当の人の子はどこか知らない場所で、優しい妖精たちに囲まれて、幸せに暮らしていけるのに。


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| Complicated Life | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
マスト・バイ・オウェイシス250

熱狂的なオアシス・ファンに聞かれたらブッ飛ばされそうだが、僕は去年の秋ぐらいから、オアシスの全オリジナル・アルバムを、ブックオフの250円コーナーだけで集めてやるという野望を、密かに抱いていたのである。

そして遂に今日、それがいよいよあと一枚を残すのみ、というところにまで漕ぎつけたものだから、単純に嬉しくてこれを書いているだけであって、だからキンクス日和的には、今回のこれは、まったくもってどうでもいい記事であることを、はじめにお断りしておきます。

さて、そもそも僕は、これまでオアシスになど何の興味もなく、図書館でたまたま見つけた「Heathen Chemistry」を、過去に一度だけ聴いたことがある程度であって、かつて全世界にあれほど吹き荒れたオアシス旋風など、全く知らずに生きてきたのである。
ところが、去年の9月にレイ先生がGQ主催の「Men Of The Year」を受賞した時に、ノエル・ギャラガーが授賞式の写真に先生と並んで写っているのを見て以来、俄然オアシスが聴きたくなって、最終的に上に書いたような野望を抱くに至ったのだ。
それならば別に普通にショップなりCDサイトに行って買えば良さそうなものだが、そこはあなた、新品一枚の金額で全てのアルバムが揃うという誘惑には勝てませんよ、ねえ。

とにかく僕は、今のところの最新作にしてラストアルバムの「Dig Out Your Soul」を除いた全てのアルバムを250円で揃えた。

経験から言うと、一番入手しやすいのが3作目の「Be Here Now」。
これはいつ行っても1〜2枚、多い時には5枚くらいが置いてある。
思うに、前作の「Morning Glory」が大ヒットしたものだから、次も売れると踏んだレコード会社が大量にプレスしたものの、内容が前作に追いつかなかったものだから、ガッカリした購入者が後からあとから売りに出すのであろう。
7分とか9分とかの、良く言えば壮大な曲が多くて、やや冗長に感じられる部分はあるものの、悪いアルバムではないのだけどね。
『My Big Mouth』とか凄いのも入ってるし。

で、逆に、手に入れるのに最も時間がかかったのは、今日入手したファーストの「Definitely Maybe」。
それから、やはり「(What's the Story) Morning Glory?」も、250円では滅多にお目にかかれないですね。
これは世界中で大ヒットして、相当な枚数が市場に出ているはずなのに、格安コーナーにまでなかなか降りてこないということは、みんなが手放さずにずっと持っているのでしょうか?
いまだに高値でも需要があるみたい。
名盤の証だと思います。

「Standing on the Shoulder of Giants」と「Heathen Chemistry」は、まあまあ普通に手に入る。
今日なくても、来週行けば必ず入荷していると言った感じでしょうか。
作品としては、特に「Standing on the Shoulder of Giants」について、一般的な評価があまり高くないのが気になっていますが。僕の感じでは、オアシスの中で最もビートルズに近いのは本作だと思います。
まあ、ビートルズと言うか、その「ギミック」に近いと言った方が良いのかも知れないけど。

あと、個人的に最も気に入っているのは、方向転換のようなことを言われて賛否両論だった「Don't Believe the Truth」。
昔のロックの良いとこ取りのオアシスの中でも、これが一番「昔回帰」したアルバムだと思う。
ただ、これは2005年と、比較的新しめのアルバムだから、250円では中々出なくて、手に入れるまでに苦労しました。

ということで、残るは2008年の「Dig Out Your Soul」だけなのだけれども、これは発表から僅か3年ということで、流石に250円での入手は困難か。
まあ、諦めずに気長に探します。
500円棚では最近見かけるようになってきてますしね。

ただしかし、およそ一年間、こんなことを半ば意地になってやってきて、実はオアシスに対しては冒涜というか、罪悪感もかなりあります。
こんなにも素晴らしいアルバムたちを、わずかな金額で手に入れてしまって申し訳ない気でいっぱいです。
アーティストのためには、本当は正規の価格で買うべきなんでしょうね。


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| Complicated Life | 15:55 | comments(4) | - | pookmark |
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