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Preservation Act1 全曲訳11「Demolition」
買える物は逃さず買い漁ってやろうと
眼を凝らしてるのさ
ほら小奇麗な草ぶきのいなか家を見つけたぜ
強引な手を使って安く買い叩いてやる
床板を引っぺがし
壁を打ち破り
家が倒れるまで土台を揺さぶれば
トランプの束みたいに
ぺしゃんこに潰れちまうだろう
そしたら俺たち
同じような建売住宅を作って
三倍の利益で売りさばくんだ
さあ取り壊しだ!

権利証書はポケットに
契約書は手の中に
贅沢な暮しを手にするチャンスだよ
抵当は100%戻るように手配するから
とっとと決断しておくれ
俺たちゃ小屋という小屋
あらゆる家とあらゆる通り
欲しいだけ全部手に入れる
近所の町も
農地も緑地も
俺たちゃ全部買い占めて
そしてすべてを取り壊す
さあ取り壊し 取り壊しだ!

二階建てで地下も二階
庭はないけど
素敵なテラスが付いてるよ
ステンレスの流し台と
ガス式のセントラル・ヒーティング
ウォアオ!メチャクチャ現代的なデザインだろ
長持ちなんて全然しないけどな
全部売れたからさっさとおっ建てようぜ
俺たちゃ街ごと買い占めて
そんでもって全部ぶっ壊す
コンクリートが地面に砕ける
この破壊音が大好きなんだ
さあ取り壊しだ!

金儲けの時が来た
成金になるチャンス
資本主義バンザイ!
シコタマ儲けて
金銭欲を満たすんだ
これがおいらの信ずるところ
言ってみりゃ宗教だね
解体 解体 解体
俺たちゃ街ごと買い占めて
そんでもって全部たたき潰す
一から世界を創り直してやるぜ


『Preservation』の前段は、この曲をもってひとまず幕を閉じます。
わずか2曲前に登場したばかりのフラッシュによって、唐突に村(=Village Green)が取り壊されて終わるという、何ともショッキングな幕切れです。

「僕らは村の緑を守るんだ」という、『Village Green Preservation Society』のあのコンセプトは、既にどこかへ飛んでしまって、続く『Preservation Act2』では、村の「その後」というには、あまりに無理なストーリーが展開されることになります。

実際ここから先の物語には、舞台設定が“Village Green”である必要性など皆無であって、なぜこれに往年の名盤を思わせる“Preservation”などというタイトルを付けたのか、『Village Green Preservation Society』の熱心な聴き手としては、大いに理解に苦しみます。


ただ、個人的には、レイ・デイヴィスが当初考えていた『Village Green 〜』の“完全版”としての『Preservation』は、実際に完成してリリースされた『Preservation Act1〜2』アルバムとは、かなり異なる内容だったのではないかという疑いを持っています。

試みに、『Preservation Act1』の制作が、どのように行われたのかを時系列で見て行くと、ジョニー・サンダーのその後を描いた「One Of The Survivors 」のレコーディングが一番最初で1973年の3月。
次が、恐らく「Sitting In The Midday Sun」で、レコーディングは1973年5月。
また、それに先立つ年1月14日のロンドンDrury Lane Theatreでのコンサートでは、「Cricket」と「Where Are They Now?」が披露されていたという記録もあります。

ということは、何となく感じるのは、これら4曲については、まさしく“Village Green”のその後といって違和感のない、どちらかと言えばノスタルジックな楽曲ばかりということです。
もちろんこれは想像に過ぎませんが、本来このアルバムは、このようなノスタルジー路線が中心となって制作されるはずだったのではなかったでしょうか。

ところが、アルバム制作中の6月20日、レイの妻ラサが仕事に熱中し過ぎる夫に愛想を尽かし、二人の娘を連れて家出。
これにショックを受けたレイは、七転八倒の末、7月15日のWhite City Stadiumのステージ上で、キンクスからの脱退と音楽業界からの引退を宣言。
(ちなみに、ラサに戻ってきて欲しいと懇願するかの如き「Sweet Lady Genevieve」のレコーディングは、アルバムの制作時期としては最も後期にあたる7月です)

こうした悲運と精神疲労が重なって、可愛さ余って憎さが百倍となり、かつて愛したその村(=レイにとっての憩いの場=家庭)を、徹底的に破壊してやろうという心理が働いたのではないかというのが、希望も含めた僕の推論です。

だから、レイ・デイヴィスは初めから、村をメチャクチャに破壊する意図を持って、Preservationシリーズの制作を始めたのではなく、僕は、やはりこれはアルバムの制作中に彼の身に起こった重大事件によって、ストーリーに大幅な変更が加えられたに違いないと考える(と言うか、考えたい)のです。

そうでもなければ、あの“Village Green”が、あまりに不憫ではありませんか。


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| Preservation全曲訳 | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳10「Sitting In The Midday Sun」



 淡い水色の空を仰いで
 じっと川辺に座ってるのさ
 悩みもなければ急ぐこともなし
 世の中の動きをただ眺めてる
 
 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 目的とか理由とかそんなものはないよ
 ただお陽様の下に座ってるだけ
 
 みんなは僕を怠け者っていう
 少しは働けよ このボケってね
 でも財産を失うことを恐れる金持ちよりも
 一文無しの浮浪者でいるほうがずっとましだよ
 
 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 それに理由がいるのかい?
 ただお陽様の下に座ってるだけなんだよ
 
 サマードレスで着飾った女たちを見ろよ
 日なたに座るあの娘たちさ
 僕には家がない
 僕には金もない
 だけどこんな素敵な晴れの日に
 仕事なんかする気になれないさ
 
 僕は定職に就いてない
 だから電話も持ってない
 ステレオもラジオもビデオもないかわりに
 質草も借金もローンもないのさ
 
 ひなたぼっこが僕の趣味
 目的も理由もなんにもなしに
 お陽様の下に座るだけ
 
 おやおや 世間では僕のことを
 何も持ってない負け犬だって噂してるよ
 彼らには分からないだろうなあ
 お金を持たないことこそが
 僕の誇りなんだっていうことが
 こんな素敵な晴れの日に
 仕事なんかする気になれないさ
 
 僕が狂ってるって思ってるみたい
 お前はウスノロだってみんな言ってる
 でも互いに怒鳴り合ってる人たちを見ると
 仕事にあぶれた浮浪者のほうがましだと思うよ
 
 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 目的とか理由とかそんなものはないよ
 ただお陽様の下に座ってるだけ


アルバムの中で、先に「Sweet Lady Genevieve」と「Where Are They Now」を歌ったTrampが、三たび登場して歌うお昼寝ソング。
川辺に座って時を過ごすという牧歌的なシチュエーションは、一見『Village Green Preservation Society』に通ずるものがあって、かのアルバムのリスナーならば、この曲を聴いて、まず十中八九は「Sitting By The Riverside」を思い浮かべるんじゃないかと思います。

ただ、「Sitting By The Riverside」の主人公が、完全に個人の世界に浸りつつ、自己完結的に至福の時を満喫するのに対し、この曲の主人公は、どこかで世の中との繋がりを意識しており、しかしながら敢えてそれと距離を置き、傍観する立場を取ります。

個人的には、Trampのこの世の中に対する距離感は、「Sitting By The Riverside」というよりは、むしろ『Arthur』における「Drivin'」に近いんじゃないかという気がしています。
“世界中で色々ないさかいが起こっているのは知っているけれども、今日はお天気だからドライブに行きたい”というのが、「Drivin'」での世間との距離感だったわけですが、これと今回のTrampの距離感というのは、どこか共通しているように感じますが、いかがしょうか?

キンクスはその長い歴史の中で、様々な事柄を歌にしてきたバンドなので、何をして“キンクス的”と言うのかについては、意見の分かれるところでしょう。
ただ、僕としては、その“キンクス的”なるもののひとつには“君は君、僕は僕”という、世間との距離感があると思っています。

ピート・タウンゼントが、“戦わず理解しようとし、座り込んで観察し、状況にユーモアを見出すレイ・デイヴィスの人生観に、アメリカ人が何の関係があっただろう”と、いみじくも語ったような、レイ・デイヴィスの、この世間と距離を置く個人主義的な発想は、「I'm Not Like Everybody Else」をはじめとして、「Waterloo Sunset」や「20th Century Man」あたりにも見ることができますし、そしてもちろん、この「Sitting In The Midday Sun」にも顕著に表われています。

そうしたことを色々と考え合わせると、やはりTrampの歌うこの曲は、メロディーの美しさもさることながら、特にその歌詞の中に、キンクス的な精神が最大限に発揮された、彼らの全曲中5本の指に入るくらいの大名曲であって、仮にこれが本家『Village Green〜』とか、『Muswell Hillbillies』とか、そうしたキンクスの中でも知名度の高いアルバムに含まれていたならば、今よりもずっと高い評価を得ていただろうことは想像に難くありません。

ただ、それがそうではなくて『Preservation Act1』という、このひどくマニアックなアルバムに収録されてしまったということで、非常に逆説的になりますが、そうした不遇さ加減も含めて、僕はこれが“キンクス的”な曲の最右翼であると考えるのであります。


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| Preservation全曲訳 | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳9「Here Comes Flash」


 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 お前に勝ち目はない
 奴の気まぐれに従うしかない
 さもないと殺されるぞ
 フラッシュがやって来たんだ!
 
 初めはにこやかに
 友達の素振りして
 それからお前を締めつけにかかる
 お前をこき使い
 荒くれの取り巻きたちにボコボコにさせる
 ついにお前は脅されるがままになる
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 奴はお前を殴りつけ
 叩きつけ 痛めつける
 お前はメチャクチャになっちまう
 奴がお前をイジメ抜くのに
 お前は抵抗もできないさ
 黙ってただ見てるだけ
 初めはにこやかに
 親切ごかしに近寄って
 それからあっさり裏切るんだ
 
 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 俺たち一度は奴を敬愛し
 信じたこともあったんだ
 今じゃあ奴のゴロツキどもが
 この村にやって来て
 俺たちを抑えつけ
 俺たちを圧迫し
 俺たちを苦しめて
 意のままに扱いやがる
 
 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 初めはにこやかに
 友達の素振りして
 それからお前を締めつけにかかる
 
 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 お前に勝ち目はない
 奴の気まぐれに従うしかない
 さもないと殺されるぞ
 フラッシュがやって来た!
 フラッシュがやって来たんだ!


遂に登場した、Preservationシリーズの真の主人公フラッシュ。

これはもう、余計な解説は不要ですね。
凶悪な地上げ屋の一味が、ヴィレッジ・グリーンにやって来たと、それで、彼らは何をしでかすか分からないから、とにかく逃げて、家に籠ってじっとしていろと、そういう歌のようです。

ところで、キンクスファンは既にご承知の事実かと思いますが、念のために蛇足ながら書いておきますが…。
このフラッシュというのは、『Preservation』のしばらく後、1975年に発表される『不良少年のメロディ(Schoolboys in Disgrace)』の主人公である、あの悪たれ小僧の成長した姿です。
そして、レイ先生が語ったところによれば、その悪たれ小僧のモデルはデイヴ・デイヴィスということになっています。

デイヴがモデルとされるキャラクターを、この曲のような、いかにも憎々しい、禍々しい人物として描くあたりに、レイ先生の弟への怨念がどれほど作用しているかは定かではありませんが、しかし、レイの視点で観たデイヴ像というのは、当時からこんな感じのものだったのでしょうか?

まあ『不良少年のメロディ』までなら許せるけれど、ちょっとこれは行きすぎという気がしないではないですね。


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| Preservation全曲訳 | 21:32 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳8「Money & Corruption / I Am Your Man」
 俺たちゃあれこれの公約にウンザリだ
 一日中あくせく働いたって金持どもを太らすばかり
 奴らマニフェストとやらを吹き込んでくるけど
 あんなのは全部嘘っぱちで
 あなたの味方ですよってな顔をして
 陰では俺たちを笑ってやがる
 
 金権腐敗が国を破滅させる
 インチキ政治屋が労働者を裏切って
 税金をネコババするんだ
 俺たちゃ羊みたいに飼い慣らされる
 公約なんて聞きたくもない
 どうせ守られやしないんだから
 
 公約、公約
 聞かされるのはマニフェストだけ
 どこかに俺たちの身になって
 引っ張ってくれるリーダーはいないものか
 
 奴らのご機嫌取りはもうたくさんだ
 地べたに這いつくばって
 へいこらしたってシカトされるだけ
 考え無しの羊みたいに
 群れさせられるのはごめんだね
 公約なんて聞きたくもない
 どうせ守られやしないんだから
 
 金権腐敗が国を破滅させる
 インチキ政治屋が労働者を裏切って
 税金をネコババするんだ
 俺たちゃ羊みたいに飼い慣らされる
 公約なんて聞きたくもない
 どうせ守られやしないんだから
 
 立ち上がろうぜ
 女も男も
 金権腐敗で国が滅びるぞ
 どこかに救世主になって
 引っ張ってくれる者はいないか
 どこかに俺たちの身になって
 引っ張ってくれるリーダーはいないか
 労働者よ団結せよ!
 労働者よ団結せよ!
 
  (Mr. Black)
  私は皆さんが自由になる日を夢見ています
  我々は新しい社会に生きるのです
  そこには階級なんてありません
  スラムも貧困もない社会です
  私には新たな社会へのビジョンがあります
  全ての家にはテレビとステレオ
  急速冷凍庫や4チャンネル それに洗濯機も
  さあ労働者諸君!
  団結しようではありませんか!
  
  私こそがあなた方の待ち望んでいた男
  5ヶ年計画を達成します
  兄弟たちよ 私に清き一票を
  私はこの国を守ります
  優良企業を国有化して
  重役たちにも結果を出してもらいます
  責任逃れは許しません
  だから国民の皆さん
  団結しようではありませんか
  
  労働者諸君
  私はあなたと手に手を取って共に働きます
  我々はみな兄弟なのですからね
  私こそがあなた方の待ち望んでいた男
  おお神よ!
  私がこの国をどれだけ愛していることか
  さあ共に集い
  祖国を救おうではありませんか
  
  私は皆さんが自由になる日を夢見ています
  我々は新しい社会に生きるのです
  そこには階級もスラムも貧困もありません
  
  さあ労働者諸君!
  団結しようではありませんか!
  すべての国民よ!
  団結しようではありませんか!


レイ・デイヴィスという人物は“保守的かつ反権力”という、いささか複雑な思想の持ち主であるようです。

『Well Respected Man』とか『Arthur』とか、あるいは『20th Century Man』といった諸作品を見る限り、イギリスの伝統を重んじた、極めて保守的な人物というイメージのレイですが、こと権力に対してだけは、かなり急進的な考えを持っているように見受けられます。

試みに、うちのブログで紹介させてもらった、以前のインタビューを見返してみると、2010年12月には

Q:現実世界の悪者とは…
A:大部分の政治家と権威のある奴

と発言して、その思想を公にしているのをはじめ、2011年11月には、もっと具体的に

Q:あなたの歌の多くは、小市民が巨大な組織や企業に立ち向かうさまを扱っています。今現在も、このいさかいは続いていると思いますか?
A:そうした戦いは数10年にわたって増大していると思う。それがこの3年くらいで、段々と世間に知られるようになってきた。
君が「プリザベーション」を知っているかどうか分からないけど、そこで僕はこの種のことに触れているんだ。
僕がこういう考えを持つようになったのは、僕の生い立ちが影響しているんだと思う。僕が生まれ育った戦後のロンドンでは、ずっと耐乏生活が強いられていた。イギリスは第二次世界大戦の数10年、復興のために非常に苦労した。
時が経っても、イギリスにはアメリカのような楽観的なところがないままだった。だから僕は、この国特有の考え方を持つようになったし、それが歌にも反映されるんだと思う。
「プリザベーション」は指導者の汚職についての物語だ。イギリスではこの夏、暴動が引き起こされたけれども、それは「プリザベーション」そのものだ。恐ろしいことだが、でも人々の抵抗は避けられない。
どちらが正しいとか間違っているとか、それは僕には分からないけど、そこに社会不安があることだけは確かだ。ウォール街あたりでも、何か行動を起こそうという空気が大きなうねりになりつつあると聞く。はっきりとした成果が出るかどうか、僕には分からないけれども。

と語っていて、彼が政治に不信感を持つに至った、その経緯なども明らかにしています。
どうもレイ先生には「政治家は汚職をするもの」であり、「一般市民の敵」とでも考えているような節があります。

さて、今回のこれは、彼のそうした思想が多分に投影された『Preservation』の8曲目。
いきなり“金権腐敗”とか“労働者よ団結せよ”とかいう言葉が飛び出して、アルバムのこれまでの流れからすると、非常に唐突な印象も受けますが、実質的にはこの曲以降が本当の意味での『Preservation』であって、むしろこれ以前の7曲のほうが『Village Green Preservation Society』を引き継いだ、本編前のプロローグということになるのでしょう。

この曲から、Act1〜Act2を通しての重要なキャラクターである、Mr. Blackが登場して、ようやくここから『Preservation』は物語として動き始めることになります。


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| Preservation全曲訳 | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳7「Cricket」


 人生はゲームだという者もおるが
 もしもそうであるとするならば
 私はそのゲームとやらのルールを知りたいものだ
 栄誉においても また品格的にも
 そしてまた英国的であるという面においても
 私が最も素晴らしいと思う競技は昔ながらのクリケットである

 さて 神はその昔十戒をお示しになり
 人生の決まりごとを定められたわけだが
 クリケットにも同じく十のルールが存在する
 思いやりと自制心を見せ すべてにおいて正直を旨として
 バットとボールを持って神の御前に集いたまえ

 ところで悪魔は 抜け目なく 無礼で そして邪悪な
 “魔球投手”と呼ばれる選手を擁する
 彼は罪深きサタンから使わされ 諸君のウィケットを落とそうとする
 さすれば諸君は気付くであろう
 それは公明正大とは言えないということを

 彼はカーブやレッグブレーク オフスピンを使い
 諸君を惑わしてくるであろうが
 君らは冷静さを保って悪魔を跳ね返すがよい
 聖書を手引きとして 正直に生きよ
 さすればうまく行く うまく行くであろう

 諸君の生が続く限り
 絶えず彼はアウトを取りにやってくる
 “魔球投手”に気をつけよ
 彼は狡猾で欺瞞的
 反則を仕掛けて無得点に持ち込もうとする

 神が諸君の側にいることを忘れることなかれ
 老いたサタンを視界から消し去り
 正直な道を歩むのだ
 さすればうまく行く うまく行くであろう


この曲について、僕は全く分かりません。

僕はクリケットについての知識なんか、これっぽっちも持ち合わせていないのです。
加えて、この曲を歌っているのが「The Vicar」ということで、日本語に訳すと“教区主管者代理”というんでしょうか? これまた日本では馴染みの薄い言葉であって、当然この職位がどういうものかも知りません。

それでも一応訳すにあたり、いくつものサイトを周って、このゲームについて調べましたけど、さっぱりイメージが湧きませんでした。

バットとボールを使って、2チームが点を取り合う競技だから、それじゃあ野球と一緒かと思うと、これが全然別物なんですね。
にわか知識で、もの凄く単純に言うと、まずボウラー(bowler)と呼ばれる投手が、ボールでもって相手方に立てられたウィケット(wicket)という棒を倒そうとする。で、それをバッツマン(batsman)が打ち返して、ウィケットが倒れるのを防ぎつつゲームは進むわけなんですが、点数の入り方とかアウトの取り方に、色々と複雑なルールがあって、いまこうして書いているだけでも頭の中が混乱してきます。

ただ、歌詞全体を読む限りでは、用語やルールなんか知らなくても、特に支障はなさそうなので、ここは深入りせずに話しを進めます。

クリケットというのは、ご存じのように、イギリスでは大変に伝統的なスポーツなわけで、特に上流階級に愛好者が多い。
何しろ、例えば1イニングに10個のアウトを取らないとチェンジにならなかったり、試合時間はランチやお茶をはさみながら6時間くらいかかったり、本来は1ゲームに5日間をかけるものであったりと、非常に優雅と言うか、まだるっこしいというか、そこかしこに貴族の暇つぶし的なニュアンスが漂います。

よく言われるように、イギリスでは上流階級はクリケット、中流階級はラグビー、そして労働者階級がサッカーと、その階級に応じてたしなむスポーツが異なるそうで、言われてみれば労働者階級出身のレイ先生なんかは、熱心なサッカーファンですもんね。

まあ、それはともかくとして、キリスト教の偉い人が出てきて、そうした上流階級のスポーツになぞらえて人生訓を歌う。
この曲はそのような、言ってみれば前近代的なシチュエーションが、後にフラッシュによって破壊される以前の、良くも悪くも“古き良き”ヴィレッジ・グリーンの雰囲気を漂わせるという、単純にそういう目的の歌であるのかも知れません。

だから『Preservation』のストーリーの中に、この「クリケット」がどうしても必要かと問われれば、必ずしもそうとは言いきれない。
それを裏付けるように、『Act2』までを制作し終えた後に展開された、1974年のミュージカル版『Preservation』ツアーでは、この曲はプレイリストから外されていたようです。

そうして考えると、ストーリー上あってもなくても支障がないようなこの曲が、アルバムにはなぜ挿入されているのかという疑問がわくのですが、これについては、1993年の6月に出た日本盤の解説の中で、翻訳の大島豊さんという方が、次のような指摘をしているのでご紹介しておきます。

すなわち、この曲は「Where Are They Now?」「One Of The Survivors」の流れを受けた、3曲目の“しりとり”歌なのだと。

これはどういうことかというと、まず「Where Are They Now?」の歌詞に出て来る“ブルー・スェード・シューズ”という言葉。
この“ブルー・スェード・シューズ”は、そのまま次の「One Of The Survivors」にも登場します。
そして今度は「One Of The Survivors」に出て来る“オー・ボーイ”という曲。
これを歌っているのが“バディ・ホリー”。
バディ・ホリーといえば、彼のバンドは“クリケッツ”。

だからレイ・デイヴィスは、どうしてもここに“クリケット”が登場する歌を入れたかった、というわけです。
一種の連想ゲームですね。

僕は、これが昔から言われている定説なのか、それとも大島さんの発見なのかは知りませんが、けだし卓見であると思っています。
仮にこれが真相だとするならば、ここではこの“クリケット”という単語だけが重要であって、そのルールなどは全く関係ないということになりますね。

やれやれ、僕はこの曲を訳しながら、実を言うと結構な手間ひまをかけて、クリケットについてあれやこれやを調べたのだけれども、それは全部無駄な作業だったのかも知れません。


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| Preservation全曲訳 | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳6「One Of The Survivors」
 バイクにまたがりハイウェイをぶっ飛ばす
 ジョニー・サンダーを見ろよ
 頭の中には50'sのロックン・ロールが鳴り響いてる
 奴は最初のビーバップ・ジェネレーション
 こんがらがったり洗練されたり
 そんな音楽はお呼びじゃないのさ

 奴はバイカーの生き残り
 ハイウェイを駆け回るジョニーを見ろよ
 奴はロックン・ロールの生き残り
 頭の中には12小節が流れ続ける
 ジェリー・リー・ルイスやディオン&ザ・ベルモンツ
 ジョニー&ザ・ハリケーンズをこよなく愛する

 奴が歌うのはハウンド・ドッグにオー・ボーイ
 火の玉ロックとハイスクール・コンフィデンシャル
 見掛け倒しや気取り屋なんかに用は無い
 リール&ロックのやり方も分からないような連中にはな
 リトル・エジプトにウー・プー・パー・ドゥー
 ポイズン・アイビーとブルー・スエード・シューズを歌って
 ハリウッド・アーガイルズやダニー&ジュニアーズ
 ディオン&ザ・ベルモンツとジョニー&ザ・ハリケーンズをこよなく愛する
 
 奴はボッパーズ&ジャイヴァーズの生き残り
 四六時中ロックしてるぜ
 ジョニー&ザ・ハリケーンズが大好きなのさ

  ハイウェイを走れば解き放たれるぜ
  時速100マイルでかっ飛ばしても
  俺のDAスタイルは崩れやしない
  ロック、ロック、ロックン・ロール
  ロックン・ロールは止められないのさ
  
  脳みそにヴァイブレーションをくれてやるんだ
  ハイウェイを突っ走って自由を手にするぜ
  正気でいるために 生きてるって感じるために
  俺はロックン・ロールの生き残りなのさ
 
 最高だぜ!
 1stギア 2ndギア 3rdギア トップギア
 老いたジョニーはメタボ気味だし
 ほお髭には白いものも混じってる
 だけどビーバップとブギーとジャイヴ
 愛する気持ちは変わらない
 ヨボヨボのジジイになり果てるまで
 
 ジョニー・サンダー
 最高だぜ!
 奴はロックン・ロールの生き残り
 頭の中には12小節が流れ続ける
 ジェリー・リー・ルイスやディオン&ザ・ベルモンツ
 ジョニー&ザ・ハリケーンズをこよなく愛する


『Village Green Preservation Society』に登場した、ジョニー・サンダーのキャラクターを、前作よりも更にリアルに描いたロックン・ロール曲。

歌詞がかなり具体的なので、これを読めば一目瞭然、ジョニーという人物がどういった類の人間であるのか分かります。

歌の中に出て来る“DAスタイル”というのは、いわゆる“ダックテール”の髪型のことですが、そのことからも分かるとおり、彼は1950年代に、いわゆるロカビリーに熱狂していたバイカーであり、それなりに年を取った今でもその生き方を変えていません。

僕は以前、“Village Green”の解題で、ジョニーというのは主人公の青年(“Preservation”でいうところのTramp?)に影響を与える人物として登場したに違いない、というようなことを書いたのですが、それはこの「One Of The Survivors」でのジョニーの造形が頭にあったからなのです。
彼のロックン・ローラー的な生き方に影響されて、主人公はやがてロックスターを夢見るに至ったのではなかったでしょうか?

今回は、歌詞が全てを言い尽していると思うので、ここから先はジョニーが愛聴しているアーティストの楽曲をいくつか紹介させてもらって、それでお茶を濁したいと思います。

ジェリー・リー・ルイス「火の玉ロック」


ディオン&ザ・ベルモンツ「浮気なスー」


ジョニー&ザ・ハリケーンズ「レッド・リバー・ロック」


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| Preservation全曲訳 | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳5「Where Are They Now?」
 君の知ってる人達について歌うよ
 それほど遠くもない昔に
 話題を独占した人達のことさ
 今では過去の人になってしまった
 彼らはみんなどこにいるのだろう

 スィンギング・ロンドンの象徴たちはどこだ
 オジー・クラークやマリー・クヮント
 それにクリスティーン・キーラーも
 ジョン・スティーヴンそれにアルヴァロ
 一体どこへ消えたのだろう
 Mr.フィッシュにMr.チョー
 彼らはみんなどこに行ってしまったのだろう

 テディ・ボーイたちは今どこだ
 ブリルクリームで髪を固めた少年たち
 細身のパンツにブルー・スェード・シューズ
 プルオーバーを着たビートニクス
 コーヒー・バーと反戦運動
 テディ・ボーイたちはどこに行った

 アーサー・シートンは元気でいるかな
 チャーリー・バブルスは愉快にやってるかな
 ジミー・ポーターは巧く笑えるようになったかな
 ジョー・ランプトンは上流階級になじんでいるかな

 怒れる若者たちは今どこだ
 バーストウやオズボーン
 ウォーターハウスにシリトー
 一体どこへ消えたのだろう
 プロテスト・ソングはどこにある
 怒れる若者たちはどこに行ってしまったのだろう

 ロッカーズやモッズ達はどうなったんだろう
 上手いことやってちゃんとした仕事に就いているといいな
 ああ、でもロックン・ロールはずっと生き続けているよ
 そう、ロックン・ロールだけはずっと生き続けているんだ


先に「Sweet Lady Genevieve」を歌った、あのTrampが再登場してソロをとる、一風変わった60年代賛歌。
当時一世を風靡した人たちの名を次々に挙げて、「彼らはみんなどこに行ってしまったのだろう」と歌うことで、『Village Green Preservation Society』の時代を懐かしみ、暗に今現在の不毛を訴えるという構成になっています。
輝いていた往時を回想するということは、裏を返せば、今現在のVillage Greenが、さほど面白くない場所になっているということなのでしょう。
ひとつ前の「There's A Change In The Weather」に続いて、何となしに村の未来を暗示するかのような内容です。

基本的に固有名詞を列挙する曲なので、ここから先は曲中に登場する人々のプロフィールを記すことで、解説に代えたいと思います。

スィンギング・ロンドナーとして最初に名前が出て来るオジー・クラーク(Ossie Clark)は、60年代に自身のブランド“Ossie Clark”で活躍したファッション・デザイナー。
顧客にはミック・ジャガーやブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックスといったミュージシャンから、ブリジット・バルドー、エリザベス・テイラーなどの女優まで、そうそうたる顔触れがそろっていたそうです。

次のマリー・クヮント(Mary Quant)は、現代の日本においてもアパレルから化粧品まで、幅広く展開している著名なデザイナーですが、60年代当時は、ミニスカートの発案者として人気を博していたといいます。

クリスティーン・キーラー(Christine Keeler)は、1960年代初期のヌードモデル兼売春婦。駐英ソ連大使と関係を持ちながら、ハロルド首相の陸軍大臣であったジョン・プロヒューモにも接近し、ハロルド政権退陣の引き金となった「プロヒューモ事件」を引き起こした人物だそうです。スキャンダル好きの英国人にとっては一種のアンチヒーローなのかも知れませんが、当時の人気がいかほどのものであったのか、僕には知りようもありません。

ジョン・スティーヴン(John Stephen)は、カーナビ―・ストリートにあったブティック“His Clothes”のオーナー。花柄やフリルといった、女性的な飾りを男性用の服に取り入れて、当時台頭しつつあったモッズやゲイの人気を集めました。

アルヴァロ(Alvaro)というのは、恐らくですが、1960年代半ばにAlvaro Maccioniという人が、キングス・ロードにオープンしたイタリアン・レストラン“Alvaro's”のことでしょう。(あるいはオーナーのAlvaro Maccioniその人のことかも)
開店と同時に、ロンドンのセレブ御用達の店になったということなので、これもやはりスィンギング・ロンドンの、ひとつの側面かなと思います。

Mr.フィッシュとMr.チョーも、Alvaro'sと同じく、ロンドンにあったレストランのことだと思います。

曲の中盤以降に出て来るアーサー・シートン(Arthur Seaton)は、後に登場するアラン・シリトーが1958年に書いた小説『土曜の夜と日曜の朝(Saturday Night and Sunday Morning)』の主人公。

同じくチャーリー・バブルス(Charlie Bubbles)というのも、1967年に公開された同名のイギリス映画の主人公。

ジミー・ポーター(Jimmy Porter)は、これも後に名前の出て来るジョン・オズボーンの戯曲『怒りを込めて振り返れ(Look Back in Anger)』の主人公。
余談ですけどOasisの曲「Don't Look Back in Anger」というタイトルは、この「怒りを込めて振り返れ」から来てるんでしょうね。

次のジョー・ランプトン(Joe Lampton)は、1959年に公開されたイギリス映画『年上の女(ひと)』の主人公。

これらの4作品は、いずれも50年代から60年代にかけての保守的なイギリスで、現状に不平不満を抱えて生きる、所謂“怒れる若者たち”を描いた問題作ばかりです。
そして、歌詞は次の段落で、それら“怒れる若者たち”を描いた実在の作家たちに言及します。

最初に出て来るバーストウというのは、『或る種の愛情(A Kind of Loving)』を書いたスタン・バーストウ(Stan Barstow)。

次のオズボーンは、先に出てきた『怒りを込めて振り返れ』の作家ジョン・オズボーン(John Osborne)

ウォーターハウスは、1959年の『うそつきビリー(Billy Liar)』を代表作とするキース・ウォーターハウス(Keith Waterhouse)。

そして最後のシリトーは、先の『土曜の夜と日曜の朝』や『長距離走者の孤独(The Loneliness of the Long Distance Runner)』で有名なアラン・シリトー(Alan Sillitoe)。


ということで、ここに登場するのは、既存の文化に反発して新しい文化を生み出した、カウンター・カルチャーの申し子のような人たちばかりですね。

さて、そこで思うのは、これらの人物名を列挙することで、結局レイ・デイヴィスは何が言いたかったのか、という事です。

それはまず、冒頭に挙げたように、かつて活躍した人々の不在を嘆き、その対比として現状を憂うという、そういう効果はあるとは思います。
ただ、最終的には、僕はここでレイが言いたかったのは、やはり最後の2行に尽きるのかな、という気がします。

時代の先端を行っていたスィンギング・ロンドナーや怒れる若者たち。
彼らも時の流れと共に過去の人になってしまった。
しかし、そんな中に唯一生き残っているものがある。
それはロックン・ロールである、と。

つまり、万物が流転し諸行無常を感じる中にあって、絶対的普遍の存在としてそこにある“ロック”に対するレイ・デイヴィスの確信。

普段はそういう風には見えないけれども、レイという人は、ステージでの有名な
“Rock bands will come, And rock bands will go, But rock 'n' roll's gonna go on forever!”
のアナウンスに見られるように、ロックの永遠性というものに絶対的な信頼を置いているようです。

時代に流されないロックン・ロールの普遍性。
このことをレイはここで声高に言いたかったのだとは思います。
ただ、しかし、それがなぜこのPreservationの物語の中に、このような形で組み込まれているのか、僕はそれについては未だに分からないままでいます。

この最後の2行さえなければ、話はもっと単純だったんですけどね。


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| Preservation全曲訳 | 18:30 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳4「There's A Change In The Weather」
 俺はしがない労働者
 この混沌として気違いじみた世の中で
 精一杯働くだけさ

 僕は中流階級の男
 決して裕福ではないけれど
 どうにかこうにか生きている

 私は上流階級の生まれ
 厄介事が起ころうとも
 あれこれ気にすることはない

 我々は空模様が変わるとにらんでいる
 だから互いに団結しようと思う
 あの空にかかる雷雲が見えるだろう
 生きていきたいからね
 死にたくなどないからね

 空模様が変わりそうだ
 変わればいいと思っている
 良い方に変わって一日が明るくなればいい
 空模様が変わりそうだ
 良いお天気が続けばいい
 良い方に変わって一日が明るくなればいい

 地平線の彼方から大災害が立ちのぼる
 あの兆候を見よ
 まったくの無秩序 そして荒廃
 稲妻に撃たれたように
 雷鳴が恐ろしく響く

 不吉なことが起こるぞ
 災難が引き起こされるのだ
 酷い威嚇と闘争に
 誰もが怯える

 巨大な嵐雲がやって来て
 太陽を覆い隠すだろう
 そして人々を脅かす
 荷物をまとめて逃げるがいい

 空模様が変わりそうだ
 変わればいいと思っている
 良い方に変わって一日が明るくなればいい
 空模様が変わりそうだ
 良いお天気が続けばいい
 良い方に変わって一日が明るくなればいい


社会の変革を、何となしに感じ取った民衆による"胸騒ぎ"の歌なのでしょうか?
しかし、単なる胸騒ぎにしては「holocaust(大虐殺)」「total chaos(完全な無秩序)」「devastation(破壊、蹂躙)」などと、不吉な言葉が乱発されます。

歌っているのは、冒頭に自己紹介のあるとおり「労働者階級」「中流階級」「上流階級」のそれぞれの人物ですが、各自が単独で歌うのは、その自己紹介の部分のみであって、中盤では一人称が『we』と複数形に変わっています。
つまり、ヴィレッジ・グリーンに住む人々が、何となく感じる"不穏な雰囲気"に対抗するために、階級を超えて団結しようと訴える。
そうした内容かと思います。

ただその一方で、民衆の中には先行きに対する不安と同時に、その変革が良い方向に向かってくれればいいなと、密かに期待する気持ちもどこかにあるようです。
そうしてみると、これは団結の歌であると同時に、結局は状況に流されるままになってしまう、一般大衆の日和見主義を揶揄した曲でもあるのかも知れません。

何度も転調を繰り返す複雑な構成を持つ曲で、歌詞もそれに相応しく、まさに混沌としています。
先ほどの一人称にしても、『I』と『we』が所々で入れ替わり、どこの部分を誰が歌っているのか、それを特定することも困難です。
しかし、この混沌とした一曲によって、レイ・デイヴィスはあの「Village Green Preservation Society」から、前曲の「Sweet Lady Genevieve」まで続いてきた、一種ほのぼのとした流れを断ち切ることに成功しています。

リスナーはこの曲によって、平和でのどかなヴィレッジ・グリーンとの決別を宣言されます。
冒頭に挙げた不吉な言葉の連発が、ヴィレッジ・グリーンのその後を暗示しているようです。


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| Preservation全曲訳 | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳3「Sweet Lady Genevieve」
 あの紅の空の下
 永遠に君を離さないと誓ったね
 だけどそれは風来坊の戯言だ
 すぐに君を悲しませることになるなんて
 夢にも思わなかったよ
 許しておくれジェネヴィーヴ

 君に会いに戻ったよ
 愛しのジェネヴィーヴ
 今度こそ君を守ると約束するよ
 僕の元に帰っておくれ
 愛しのジェネヴィーヴ

 愛しておくれ
 その腕を僕に差しのべて
 強く抱きしめたいのさ
 僕を信じて
 悲しみを笑い飛ばすんだ

 もしも君が戻ってくれるなら
 愛しのジェネヴィーヴ
 僕はもう今までのような馬鹿はしないさ
 いつも君を傷つけていた
 それは遠い昔のことなんだ
 愛しのジェネヴィーヴ

 愛しておくれ
 その腕を僕に差しのべて
 強く抱きしめたいのさ
 僕を信じて
 悲しみを笑い飛ばすんだ

 夏の夜の満天の星の下
 飲み過ぎた僕は 君を騙してしまったね
 君の内気さに付け込むなんて僕はなんてずるい奴
 許しておくれジェネヴィーヴ

 僕のところに戻ってくれないか
 愛しのジェネヴィーヴ
 君は無邪気な少女じゃないし
 僕も昔のごろつきじゃない
 僕の元に帰っておくれ
 愛しのジェネヴィーヴ

 ああ、ジェネヴィーヴ


ロック・オペラとして、物語性を意識して書かれたこの「Preservation Act1〜2」各曲の歌詞には、その歌い手となるキャラクター名が併記されています。
ただ、これまでに見た2曲については、曲自体が状況説明、いわゆるナレーション的なものであったため、キャストとしての歌い手は存在しませんでした。
しかし、この3曲目に至って、ようやく一人の人物が登場してきます。それがこの曲の主人公“Tramp”です。
日本語にすると“放浪者”あるいは“無宿者”的な意味合いになるでしょうか。

歌詞の言わんとするところから察するに、かつて愛した女性を裏切って村を離れ、各地を放浪したものの、やはりその女性(ジェネヴィーヴ)を忘れることができずに、舞い戻って来た流れ者、といった役どころのようです。
ただし、彼はこの1曲に留まらず、この後の数曲でもソロを任されていますから、ひょっとするとアルバム全体の進行を司る、一種の狂言回し的な役割を担わされているのかも知れません。

さて、ところで「Preservation」のこのシリーズが、あの「Village Green Preservation Society」の続編であるということは、キンクスファンであれば誰もが知っている有名な話です。
ということは、本作で一番はじめに登場する、このTramp氏についても、Village Greenにおける何がしかのキャラクターを引き継いでいるものと考えられます。

では、それは誰なのでしょうか?

これは、やはりこの男は、Village Greenの主人公、村を飛び出して、また舞い戻り、恋人と一緒に川辺に座って、平和な日々を謳歌した、あの青年であると考えるのが自然だと思います。

以前に書いたVillage Greenの考察の中で、僕はあのアルバムの主人公は、Lola vs Powermanの主人公の青年と同一人物に違いないと考えました。
なぜなら、この二人の主人公には、作者であるレイ・デイヴィスのキャラクターが、色濃く投影されているからです。
同じように、PreservationにおけるこのTrampも、レイ・デイヴィスの分身であるとみて間違いないでしょう。
それは、以下に挙げる各種の資料から明らかになります。


レイは空き時間をすべて使って<プリザヴェイション>のアイデアを練り直していたが、働きすぎの重圧から彼のエネルギーはだんだんと衰えていった。レイ・デイヴィスの平均的な一日は、普通のロックスターならまず縁のない時間にはじまった。起床は朝7時、生卵の朝食をとり、何時間か仕事をし、終わるとしばらくベッドに戻る。それからの行動はもっと奇妙だった。
「それからぼくはまた起きて、ちょっぴり不安になって涙を流し、その不安を頭の中から追い払って、もう少し仕事をやろうと努力する。一日は本当にあっという間だったね」
(ジョニー ローガン著/野間けい子訳「ひねくれ者たちの肖像」)

膨大な数の新曲を書き、それを磨くために連日徹夜していた。ラサは彼を見て言った。「なぜ、そんなに根を詰めるの。あなたがしなきゃならないのは演奏だけよ」(中略)1973年6月20日、スタジオで一日過ごして家に帰ると、ラサと子供たちがいなかった。メモにはただ「出て行きます。連絡は弁護士にしてください」とだけあった。
(レイ・デイヴィス著/赤塚四朗訳「X-ray」)

レコーディング中、あの曲をグシャグシャになって泣きながら歌っているレイの横でハーモニーをつけるというのは、僕にとっては、本当に辛い作業だった。もう見てられなかった、いたたまれなくなって逃げ出したい気分にすらなったよ、でも、レイは最後まで歌うって言い張ったんだ − デイヴ・デイヴィス
(小松崎健郎「ヴィレッジ・グリーン・プリザベイション・ソサエティDXエディション2004」解説)


1973年6月、「Preservation」の制作に没頭するレイに愛想を尽かし、彼の最初の妻ラサは、ふたりの子供を連れて家を出てしまいます。
落胆したレイは、自殺を図ろうと試みたり、ステージ上から音楽業界を引退すると発表したりと、様々な形でもがき苦しみますが、彼の家族は再び元に戻ることはありませんでした。

振り返って「Sweet Lady Genevieve」でのレイ・デイヴィスの歌唱を聴けば、彼がデイヴの言うように、泣きながら歌っているのがはっきりと分かります。
Trampも、レイも、共に愛する人に去られた悲しみを嘆き、戻って欲しいと訴える。つまり、曲中で許しを乞うTrampは、現実世界のレイ・デイヴィスそのものだということです。

レイ・デイヴィス=Village Greenの主人公=Tramp(及びLolaの主人公)

僕は「Village Green」から「Preservation」に至る物語世界は、レイを中心にした、一種のパラレル・ワールドを構築していると見ていますが、いかがでしょうか?

1968年、愛する妻と幼い二人の娘に囲まれた平和な家庭を、「Village Green Preservation Society」という精巧な箱庭に模して造り上げたレイでしたが、その5年後、平穏な箱庭は自らの仕事中毒によって粉々に砕け散ってしまいました。
彼はSweet Lady Genevieveを歌って、涙ながらにラサに許しを乞いますが、それが叶わないと知るや、今度は一転して、かつての安息の場であったVillage Greenを破壊しようと試みるのです。


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| Preservation全曲訳 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳2「Daylight」



 ヴィレッジ・グリーンに陽が昇り
 丘に 谷に 朝の訪れを告げる
 山にも 村にも 朝日が差し込み
 野原を 工場を 陽が照らしだす
 夜は去った 新しい一日の始まりだ

 早起きの人をごらん 寝ぼけまなこで歩き回ってるだろう
 疲れた奥さんたちは歯ぎしり そばで赤ん坊が泣いているのに
 忙しい人がここにも そこにも
 モーニングショーを見ながら
 トーストをかじり お茶を飲んでるよ
 さあ太陽を浴びよう

 枕元に陽が射し込んだらあくびをやめて
 新しい朝の訪れを神に感謝しよう
 谷にも 木々にも 丘の斜面にも 朝日が差し込む
 笑顔で歌おう 夜は過ぎ去ったんだから

 中年の銀行員は背中を叩いて 若かりし10代の頃に戻りたいと願う
 独り身の女は
 ロジャー・ムーアやスティーヴ・マックイーンとのデートを夢見る
 健康マニアは屋根裏部屋でコモンウェルス・ゲームズのための練習に励み
 男の子たちは戦艦や飛行機に乗り込んだキャプテン・スカーレットに憧れる

 朝日を感じよう
 ヴィレッジ・グリーンに陽が昇る
 野原を 谷を 朝日が照らし出すよ


歌詞の冒頭で、いきなりその名が出て来るように、物語の舞台は"あの"ヴィレッジ・グリーンです。

ヴィレッジ・グリーンを舞台として、その平凡な朝に、早起きの人が散歩をし、くたびれた奥さまたちが子供の世話にうんざりし、中年の銀行員や寂しい独身女性が、それぞれの胸にささやかな希望を抱くという、レイ・デイヴィスお得意の世界観が歌い込まれています。
そこにはまだ、前回に見たような、フラッシュの魔の手は伸びてはおらず、人々は昔ながらにのんびりとした暮しをしているようです。

ところで、キンクスファンの中にも、ひょっとするとキワモノ的な変な先入観を持って、このアルバムを避けて通っているリスナーがいるかも知れません。
しかし、いるとすればそれは極めて残念なことです。
僕がそうした方々に申し上げておきたいのは、やはりこれは「Village Green Preservation Society」の続編に他ならないということ。

この「Preservation」シリーズの土台となるアイデアは、“Village Green”のその後の物語であって、だから、作品の根底には、そのエッセンスもまた濃厚に流れているのです。

一般に「Preservation Act1」「Act2」というと、レイ・デイヴィスの偏執狂期である、RCAのロック・オペラの中でも、最も取っつきにくい作品として喧伝されるきらいがありますが、本当にそうでしょうか?
まあ、確かに「Act2」に関しては、そのように認めざるを得ない部分はあるにしても、少なくともこの「Act1」はそうではない。

恐らくこれは世界的な傾向なのだと思うのですが、「Village Green Preservation Society」の高評価に比べて、「Preservation」シリーズの評価は、また極端に低いようです。
しかし、その低評価というものは、本当に作品を聴いたうえでの評価なのかどうか。

あの「Village Green〜」のアルバム曲に、「この世はすべてショービジネス」あたりのフィルターをくぐらせたような、この「Daylight」をはじめ、その他の収録曲聴いていると、僕はどうも多くの人は、聴かず嫌いのままこのアルバムをスルーしているのではないだろうかと疑ってしまうのです。


さて、ちなみに、オリジナル・アルバムで、この「Daylight」に先立って歌われるオープニング曲は、気取ったおじさんのハミングが延々と続く「Morning Song」でした。
ところが、これは歌詞の無い、文字通りの鼻歌なので、この全曲訳では割愛せざるを得ませんでした。

「Morning Song」は、のどかな村の夜が白々と明け、人々が夢とうつつを行き来する様を思わせる、いかにもお芝居の序幕らしい視覚的な小品なのですが、最近のCDでは、元々シングル曲だった「Preservation」が、冒頭を飾るのが定番になっているようです。
ただ、「Preservation」を1曲目とするこの曲順では、アルバム丸々一枚をひとつの演劇作品に見たてさせるという、レイ・デイヴィス本来の狙いが、生きてこない気がします。

だから、個人的には、これからこの「Preservation Act1」アルバムを聴いてみようというリスナーの方には、ぜひこの「Morning Song」から聴きはじめることを、蛇足ながらお薦めしておきたいと思います。

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| Preservation全曲訳 | 00:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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