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Village Green 全曲解題11「All Of My Friends Were There」
 大いなる一日
 私の人生における最も重大な一日
 それは私のキャリアにおける頂点とも言える一日だった
 しかし私の気持ちは沈んでいた
 それに私はビールを飲み過ぎてしまっていたので
 マネージャーは私に出て行くべきではないと言った

 私は歩いてステージに上がり、そして話し始めた
 私が2年間を棒に振ることになった最初の夜
 私が群衆に向けて話をすると、彼らは私をあざけりはじめた

 私は誰にもそこにいて欲しくないと思った
 まさにその時
 友人全員がそこにいたのだ
 友達だけでなく、彼らの親友さえもがそこにいた
 友人全員がそこに立って私を凝視していた
 何ということだ、彼らの友達までそこにいる必要はなかったのに
 私を笑い物にするような人は、いずれにせよ友人ではないのだが
 友人全員がそこに立って私を凝視していた

 時が過ぎ、私は変装してあたりを歩き回るようになっていた
 口髭を生やして髪を分け、私は何も気にしていない素振りをしたが
 その実、当惑と絶望をこの胸の内に秘めていた

 その日がやって来た
 何杯かのジンの助けを借りて
 私は神経を逆立てながら再びステージに立った
 演目を終えても、誰も不満を述べることはなかった
 おお神よ、私は元の私に戻ることができたのだ

 私はかつて楽しい日々を過ごしたことのある
 馴染みのカフェへと向かった
 すると、私の友人全員がそこにいた
 気の置けない友人たちだ
 何ということだ、友人全員がそこにいたのである
 友達だけでなく、彼らの親友さえもがそこにいた
 私の友人全員がそこにいた
 今では私は何も気にすることなど無いのだ


不思議なことに、と言いますか、色々な本や資料をあたっても、この曲を取りあげた解説というのは、まず見つけることが出来ません。
「Village Green」の他の各曲については、それぞれに何らかのコメントや記事が書かれているのに、この曲だけは何故か黙殺状態なのです。
そこで僕としては、ひょっとしたらこれは、キンクスの暗黒史を歌った曲じゃないかと訝しんでみるわけです。

1965年、初めてのアメリカ・ツアーを行っていたキンクスは、当地の音楽家協会から、向こう4年間のプロモーション禁止、つまり実質上のアメリカからの締め出し処分を言い渡されてしまいます。

これは、理由は色々と言われてますけど、ひとつにはキンクスの素行が非常に悪かった。
モノの本によれば、あるテレビ番組の収録直前、共演するグループの中に黒人ドラマーがいるからという、それだけの理由で出演をドタキャンしたとか、レイがテレビ局のスタッフの皮肉な言葉にキレて、殴り合いのけんかをしたとか、そういう悪ふざけや下らないイザコザを、アメリカで散々やってしまった。
彼らのそうした振る舞いが「プロにあるまじき行為」として糾弾されたというもの。

それから理由のもうひとつは、イギリスから次々とやって来る、所謂「ブリティッシュ・インベージョン」に対する、アメリカからの報復の犠牲になったというもの。
レイの自伝的な「X-RAY」を読むと、このツアー中にビーチ・ボーイズと一緒になった時、彼らから敵意のある視線を送られたエピソードなどが載っていますけれども、この当時のアメリカの音楽関係者の間には、イギリスからの侵略者に対する敵愾心のような感情が、相当に充満していたようです。
そうした悪感情が、ブリティッシュ・バンドのなかでも素行の悪かったキンクスに向けて一斉にぶつけられた結果、この追放劇となってしまった。

レイ・デイヴィスは、この件に関してキンクスのBOXセット「Picture Book」の解説の中で、「マリファナやクスリで逮捕されるミュージシャンも、ホテルの部屋をめちゃくちゃにするバンドもあった。キンクスはそんな連中のツケも全部払わされたみたいだった」と証言していて、自分たちはあくまでも犠牲者だと言いたげですが、しかし、その理由はともかくとして、キンクスは1965年の中頃から1969年頃までの間、アメリカでの活動が禁じられていました。

それで、『All Of My Friends Were There』の歌詞を読んで真っ先に思いつくのは、これはこのアメリカからの締め出しについて歌った曲なんじゃないか、ということ。

つまり、キンクスは自分たちの将来にとって最も大事なアメリカ・ツアーを、その粗暴な振る舞いによって台無しにしてしまった。
そして、アメリカに拒絶された彼らは、他のブリティッシュ・バンドが次々にアメリカのチャートを賑わして、意気揚々と凱旋する姿を横目に見ながら、イギリス国内で「何も気にしていない素振りをしながらも、当惑と絶望をこの胸の内に秘めて」活動せざるを得なくなった、というわけです。

仮にそうであるならば、ここに歌われる「友人全員」というのは、結局レイ達が帰り着いた「イギリス」のメタファーということにでもなるのでしょうか?
アメリカ進出は失敗したけれど、出戻ったイギリスでは『Sunny Afternoon』や『Waterloo Sunset』などのヒットを出すことができて、温かく迎えられました、みたいな内容と取れなくもない。
(すると、自分を笑い物にした「友達の友達」はアメリカということになるのかな?)

ただし、この解釈には弱点もあります。なぜならば、レイ・デイヴィス自身が、当時のアメリカ進出の失敗を、アメリカ側からの陰謀のせいだと主張し続けているからです。
件の「Picture Book」にも、「ありもしなかった事件や、バンドに関わりのない出来事に対する謝罪の意を表す書類を見せられて、そこに署名をした途端にプロモーション禁止の処分が解けた」というような記述がありますから、自分たちはアメリカで何ら悪事を働いていないというのが、一貫したレイのスタンスのようです。
だから、そのように、アメリカの陰謀と主張するのであれば、この曲のように「ステージでしくじった」=「自分たちが悪い」という歌詞など、当時のレイが書くはずはありません。(ハッキリと「しくじった」と歌っていないにしても、ニュアンス的にはそのように受け取れます)

結局これだ!という結論は出ないままなのですが、ただ、まあそのようなアメリカからの理不尽な扱いや、版権の問題での裁判などといった災いが、この当時のレイの身にまとめて降りかかったのは事実であって、そんなこんなで、一時的にせよミュージシャン生活に嫌気がさしたという彼の弱気な心情が、この曲の背後に隠されているのは間違いのないところでしょう。

以前から書いている、僕なりの解釈によるアルバムのストーリーに則って話を進めれば、都会に出てミュージシャンとして成功した主人公が、ステージでの失敗や観客からのブーイングにあって、いよいよ友達のいる「ヴィレッジ・グリーン」に帰りたくなってきた、という局面を表す曲ということになるのでしょうか?
このあと主人公は、音楽活動が本格的に厭になって、深い自己嫌悪に陥るのですが、それは次回の更新で。



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