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The Kooks / Konk
ネット上の何かのサイトでアルバム・カバーを見て、いかしてるなとは思っていたのだけれど、それがKooksと言う名前のバンドで、アルバムが「Konk」だというところまではチェックしていなかった。

意識したのは、いつも巡回しているこちらのNews & Rumorsに、レイ・デイヴィスがKooksのステージに飛び入りして「Victoria」を歌った、というのを読んだからだ。
エッ!レイが飛び入り?
このバンドって誰ですかぁ?
で、よく調べたら、あのジャケットのバンドがKooks、アルバム名は「Konk」だという。

名前が「Kooks」でアルバムが「konk」って、じゃあ、このカバーに写っている建物は、コンク・スタジオということか?
そもそも「Kink(ひねくれ者)」に対して「Kook(変わり者)」って、名前からしてオマージュっぽいじゃありませんか!ヌヌヌ…!
と言う訳で、もう何年もの間、新しいシーンには全く何の興味もなかった自分には珍しく、このイギリスの新鋭バンドのセカンド・アルバムを手に入れるために走ったのでありました。


ウーン…。
まず、キンクスの音ではありません。
ブリットポップからの影響が指摘されているようだけれども、僕はむしろもう少し早い、80年代の終わりから90年代の初め頃の音に似ているのかな?という印象。
バンドを挙げると、ハウス・オブ・ラブとかトード・ザ・ウェット・スプロケットとか、時代は違うけれど初期のウォーター・ボーイズにも近いものがある。
若さゆえのエモーションというのか、ヒリヒリするような真摯な姿勢、良い意味での青臭さ。
バンド・サウンドなんだけれど、ボーカルの声質に特徴があって、一聴すればそれと分かるのは大きな強み。
楽曲の出来も、飛びぬけた派手さはないものの、1曲1曲にクライマックスを持つ良質なもので、ファーストがイギリスで130万枚超えの大ヒットと言うのも頷ける。

欲を言えば、もう少しユーモアというか余裕の部分が欲しいけど、まあ、これもメンバーのハタチそこそこという年齢を考えれば仕方のないことでしょうか。
この声、この演奏で、例えば「デビッド・ワッツ」みたいなポップ・チューンが創れたら面白いことになりそうと思う。
これからの一層の成長に期待大であります。


レイのおかげで、本当に何年かぶりで聴いた新しい世代のロック・チューン。
時代は変わっても、ロックはまだまだ健在でしたよ。

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| Around The Kinks | 18:03 | comments(0) | - | pookmark |
ジミー・ペイジっ!?
おいおい!
ベッカムが登場するかもしれないっていう噂は聞いていたけど、ジミー・ペイジは聞いてなかったよ!

もちろん北京オリンピックの閉会式。

観るともなくダラダラと観ていたんですが、いきなり目覚めて、我を忘れて録画始めましたよ。
予期していなかったから、途中からなのが悔やまれますが…。
更にベッカムの前座扱いなのもナニですが…。

ちなみに観ていなかった方々のために、曲は女性歌手(すみませんお名前わかりませんでした)の歌う「胸いっぱいの愛を」でした。

でも、あれってCGじゃないですよね…。

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| Something Else | 22:46 | comments(2) | - | pookmark |
シャッフルなんていらない
クイーンとポール・ロジャースによるニューアルバム『the cosmos rocks』が9月に発売になると言う記事を読んでいたら、メンバーのコメントの中に「たいていのCDは単に曲を集めただけのもので、いくつかの違ったチームがプロデュースしたり、曲順もどうせiPodsでシャッフルして聴くだろうってことで適当に並べたものが多いような気がするんだ。もちろんその選択もあって当然だけどね!」というのがあって、あぁそうか、今はそういう時代なのか、と今更ながらに思い至った。
と言うのも、『サージェント・ペッパー』や『トミー』、フロイドの『狂気』、キンクスのRCA時代の諸作品を引き合いに出すまでもなく、ビートルズが登場して以来のロック・アルバムというものは、ジャケットやタイトル、曲の並び順までを全て含めた「トータル芸術」であるとずっと思い込んでいたからだ。
クイーンのコメントのニュアンスは「このアルバムは全体を通してひとつの作品なのだから、曲順にまでキチンとこだわりました」といったものになっている訳だけれども、なんかこういうことを改めて言わなければならないほど、最近の聴かれ方、あるいは創られ方というのは、ある意味雑多なものなのかという、ちょっとしたカルチャーショックを受けた気がした。

アナログ世代の頑迷な主張と言われるかもしれないけれど、レコードで親しんだA面B面の曲の並びは、CDで聴いてもあのままじゃなければ僕はいやだ。
クイーンで言えば『シアー・ハート・アタック』の1曲目は何が何でも「ブライトン・ロック」だし、それに続くのは「キラー・クイーン」以外にはない。
曲順が滅茶苦茶な『アビーロード』は『アビーロード』ではないし、それはアルバムのトータル性になんか余り関係のなさそうなTレックスやスレイドなんかにしても同じことだろう。

確かにデジタル時代となって音楽はより身近になったけれども、シャッフルできることによって得られなくなった感動もあるんじゃないかな、とアナログA面B面世代の僕はふと思ったのでした。

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| Around The Kinks | 14:33 | comments(2) | - | pookmark |
Disney Girls
今、サーチエンジンで「surf's up」と検索すると、大体9割方はあのペンギン・サーファーの映画がヒットすると思うのだけれど、surf's upという言葉に特別な思い入れを持つ者にとっては、オイオイなんじゃいこれはッ!という泣きたいような心境である。

ビーチ・ボーイズを夏のサーフ・バンドだと思っている人たちがどれ位いるかは知らないけれど、これはバンドがデビューしてから2年くらいの間だけのイメージであって、ブライアン・ウィルソンが精神破綻した64年以降ずっと、ビーチ・ボーイズはそのパブリック・イメージとは別の活動をしてきているのだ。
この「surf's up」もそうした非ビーチ系の作品であるばかりでなく、環境問題や70年代初頭の学生運動を扱った、彼らのイメージとは最も遠いところにありそうなアルバムだけれども、発表当時はずっと低迷していたチャートアクションを久々に脱する29位にランクされたのだから、こういうビーチ・ボーイズもアリなんじゃない?と思われていたことだろう。

最近の傾向で、物事を一面だけで極端に言い切ってしまうというのがあるけれども、それに即して言えば、このアルバムの印象は「暗〜い」の一言である。
それを象徴するかのような、このなんとも陰鬱なジャケット。歌詞の中にも「もうじき吹き飛ばされる木の葉のように私も死んでゆくんだ」なんてのがあって、当時のブライアンの精神状態がどのようなものであったかが窺い知れるというものである。

さて、そのような暗いアルバムの中にあって、ブルース・ジョンストンが提供した「Disney Girls」の素晴らしさは際立っている。
夏の日の田舎町でののんびりとした風景が印象的な、甘酸っぱいラブソングで、ブルースのドリーミーな歌声にビーチ・ボーイズに特有のコーラスワークが重なって、心地良いことこの上ない。夏ののんびりした昼下がりに、冷えたワインでも飲みながら聴いたら相当に気持ちいいだろうなぁ。
実はこの当時のマネージャーだったジャック・ライリーは、ビーチ・ボーイズをコンテンポラリーな存在にするために無理やり社会問題なんかを歌わせていたのである。
そのやり方にメンバー中唯一反対したのがブルース・ジョンストンその人で、だからこの極上のポップソングを書くことが、彼にとっての異議申立てを意味したのである。
何てカッコいいんでしょ!
この曲はその後、アート・ガーファンクルなど色々な人に取り上げられて、ブルース自身も後にセルフ・カバーをアルバムに入れたりしているので、彼自身にとってもかなり思い入れの深い曲となっているはず。
結局ブルースはライリーとの対立が原因でバンドを去ってしまうのだけれども、ライリーの提示した方向性は長くは続かず、代わりにこんなに素晴らしい曲のかける人を手放してしまったのだから、ビーチ・ボーイズの被った痛手は途方もなく大きかったと今更ながらに思うのだ。

おっと、最後に「暗い」イコール「悪い」ではないことだけは言っておかなけければ!
特にあの「Smile」から5年以上を経て結実したタイトルソングの傑作度といったら並大抵のものじゃない。
おそらく全ロックの楽曲中10本の指に入るくらいの名曲であって、かのバーンスタインも絶賛したと言うから、別のジャンルの人たちをも刺激するだけのパワーを持った途方もない曲なのだ。

「Surf's up」と「Disney Girls」。この2曲を聴くためだけでもこのアルバムを手に入れるだけの価値は十分にある。


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| Heavy Rotation | 19:16 | comments(0) | - | pookmark |
風街ろまん
冒頭の「抱きしめたい」なんかは、まあ冬の歌なんだろうけれども、

ギンギンぎらぎらの
太陽なんです
ギンギンぎらぎらの
夏なんです…

なんて言う歌詞を引き合いに出すまでもなく、このアルバムにはやはり真夏が一番似合う気がする。

“東京オリンピックによって失われる以前の東京の原風景”がテーマと言われるように、アルバム全体を覆うのは、古い東京の乾いた土埃と、日本のロックがまだ“少年”だった頃の独特の熱気であって、歌われる言葉とはまた別の次元で、この作品には常に“熱さ”が付きまとう。

ロックを日本語で歌うという発想がまだなかった時代にあって、失われた風景を、後のキャロルやサザンのような、英語詞を織り交ぜた日本語ではなく、純日本的な表現でリスナーの面前に視覚的に現出させる松本隆の歌詞がまず素晴らしい。

ロックを日本語で歌うためのメロディとはこういうことだと思い知らされる細野晴臣の「風をあつめて」
怪奇な言葉遊びがまさにロック的で、疾走感溢れる曲調と絶妙にフィットする大滝詠一の「はいからはくち」
細野、大滝の原石のような歌が、やがて来るニューミュージックの時代を予感させるのに対して、いきなり現在のJ-POPの音に直結する驚くべき先見性を示す鈴木茂の「花いちもんめ」など、松本の歌詞を立体化させる各メンバーの作曲能力・表現能力にも、神がかりと言いたいほどの何かを感じる。

日本のロックの黎明期に、生まれるべくして生まれた歴史的名盤。

実は一年中いつでも聴いているのだけれども、東京にもセミの声が喧しいこの季節に、最も手を伸ばすことの多くなる一枚である。

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| Heavy Rotation | 18:15 | comments(0) | - | pookmark |
普通が一番かっこいい
たとえば「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」という人は、一体何をして食っているのだろう?と疑問に思ったりする。
「俺はハリケーンのさなかに生まれて歯の無い髭の婆に育てられた」と自分で言っている位だから、その生い立ちは不幸であったとはいえ、少なくともちゃんとした人間であることは間違い無いのだ。
しかし、彼が会社に行って取引先に頭を下げたり、家では汚れた皿を洗ったり、足の爪を切ったりという普通の生活者がするような生活を送っているとは到底思えない。それどころか雨の日に傘さえ差さないんじゃないかと思うほどの生活感の無さである。
同じように「ハイウェー・スター」という人は車に乗っていない時はどのような生活を送っているのだろうか。
「サージェント・ペッパーのロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のメンバーはどこから給料をもらっているのだろうか。
「Tommy」はしかし、いくらなんでもピンボールひとつで神の如く祀り上げられるなんて、ありえないよね…。
などなど、ロックの歌詞には考えても考えても社会人としての人物像を想像し難い人達が沢山登場してくる。
まあ、ロックの歌詞なんて一種のファンタジーか、そうでなければミュージシャンの意思表明の道具なのであるから、小市民が町中でアレして家に帰ってコレしてなどという些細なことは、そもそも歌になどならないのかもしれない。

ところがここに、平凡な人々の日常をまるで生活感に満ちたホーム・ドラマのような曲にして歌ってきたバンドがある。
言わずと知れたキンクスである。

税務署に何もかも取られてしまい、彼女には車を持っていかれて、明るい夏の午後にビールを飲みながらフテ寝をしてる男(サニー・アフターヌーン)。
先端のファッションを求めてロンドン中のブティックを回って歩く若者(キザな奴)。
クラス一の人気者でチームのキャプテン、デビッド・ワッツみたいになりたいなと夢想する少年(デビッド・ワッツ)。
洗濯をしながら或いはフライパンでベーコンエッグを作りながら、派手好きで奔放な生活を送る姉に嫉妬する地味な妹(トゥー・シスターズ)。
奥さんの母親にもっとちゃんとした仕事をしなさいと尻を叩かれるさえない夫(シチュエーション・ヴェイカント)。
レイ・デイヴィスの作品中に登場するユーモアとペーソスにあふれた人々は僕達の周りに一人や二人は必ず居そうな人達ばかりである。

大体、レイという人は他のロック・ミュージシャンとは別の視点からものを見るのに長けた作家で、1960年代中期のスィンギング・ロンドンのさなか、イギリス中の若者が都会へ都会へと目を向けて、古くから大切にされてきた慣習や文化が軽視されていた時代に「田舎の緑を大切にしよう」というコンセプトのもとにアルバムを作った人なのだ(ヴィレッジ・グリーン・プリザベーション・ソサイエティー)。
40や50のおじさんの仕事ではない、レイは当時24歳である。
また、ベトナム戦争が激化して米英のミュージシャンがこぞって反戦歌を歌っている時期に、レイは「世界中で戦争が起こっているのは知っている。でも僕は今日、君とドライブに行きたいんだ」(ドライヴィン)と軟弱な歌を作りヘナヘナした調子で歌った。
しかし、イギリスの普通の男の子がこの当時考えていたのは、ベトナム反戦についてなどでなく、案外この程度のことだったのではないだろうか。

僕にとってのキンクスの音楽は「癒し」の音楽である。

癒しの音楽などというと、作曲家がはじめから人間の五感に対する安らぎということを意識して曲を作り、人々はそれによって癒されると思いこんで有難がって拝聴するという、一種の気休めの薬のような気がしてどうも好きになれないが、もちろんキンクスはそんな風にして曲を作っている訳ではない。
レイ・デイヴィスは普通の人々の普通の生活の中から、ともすれば見過ごされてしまいそうなある一瞬を切りとって、曲にして歌っているだけである。
しかし、それによって僕は間違い無く安らぐことが出来る。

つまり、癒しなどわざわざ求めるものではなく、日常生活の何ということのない平凡な時間の中にこそ存在しているということなのだ。
キンクスを聞いているとそんな気がしてくる。
そして、レイ・デイヴィスはもう40年以上も前にそのことに気づいていたのだと思う。


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| Beginner's Guide | 16:14 | comments(2) | - | pookmark |
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