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ハロウィンにちなんで、ロックに関するいささかダークな話題をひとつ。
と言っても、ロック・ファンの間では「Jの悲劇」と呼ばれて、昔から結構知られたお話ですが…。
ロック界ではどういう訳か「J」のイニシャルを持つミュージシャンが、夭逝してしまうと言われています。
実際に何人か名前を挙げてみると、
1969年 ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones) 享年27歳
1970年 ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix) 享年27歳
1970年 ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin) 享年27歳
1971年 ジム・モリソン(Jim Morrison) 享年27歳
60年代を代表するイニシャル「J」のミュージシャンが、70年を境に次々と不審な死を遂げています。
1980年に亡くなったレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム(John Bonham)や、同じく1980年に射殺されたジョン・レノン(John Lennon)なども、この系譜に入れて良いのかも知れませんが、何れにしてもイニシャル「J」のミュージシャンが早死にする確率は、他のイニシャルに比べて高いような気がします。
更に言えば、先に挙げた4人についてはイニシャルどころか亡くなった時の年齢まで一緒なのです。
そこには何が…
と、ここまでが一般に言われる「Jの悲劇」です。
偶然と言えば偶然で、先の4人については全員が破滅的な性格だったし、ドラッグも服用していた訳だし、遅かれ早かれ悲劇的な死が訪れて、天寿を全うすることなど無かったに違いないとは思いますが…。
さて、ここからは僕の考察であります。
何故、ロック界ではイニシャル「J」のミュージシャンが早くに命を落とし、しかもその多くは何かの記号のように「27歳」で死ぬのでしょうか?
夭逝した「J」のミュージシャンを時代を遡って探ってゆくと、一人のブルースマンに行き当たります。
1930年代に活躍したブルース・ギタリストのロバート・ジョンソン(Robert Johnson)です。
エリック・クラプトンやキース・リチャーズなど多くのギタリストに影響を与えた、ロックにとっては大恩人と言って良い人物ですが、彼にはこんなオカルトめいた言い伝えがあります。
伝説に曰く、
彼はハイウェイ61とハイウェイ49がクロスするミシシッピー州の十字路で、悪魔と取引を交わしてその超人的なギター・テクニックを手に入れたのだ、と…。
キース・リチャーズをして「二本のギターで弾いているのかと思っていた」と言わしめたほどのテクニックを持つジョンソンですが、その技法は悪魔に魂を売って授かったものである、というのがロバート・ジョンソンを語るときに欠かせない逸話として伝わっているのです。
その代償なのでしょうか、彼は生涯に僅か29曲を残しただけで、人妻との不倫の末、その夫に毒殺されたと言われています。
享年27歳…
さあ、どうでしょう。
ブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックスの死よりも更に30年の昔、悪魔に魂を売ったと実しやかに囁かれたイニシャル「J」のミュージシャンが、27歳で不慮の死を遂げているです。
そこに何か因縁めいたものを感じるのは僕だけではないでしょう。
ジョンソンと契約を交わした悪魔が、その魂だけでは飽き足らず、時を越えて次の魂を狙っていたのだ、という解釈はどうでしょう?
もちろん、これは僕の強引なこじつけに過ぎないお話ですが、それにしても、ロックには常に得体の知れない何かの力が、纏わりついているような気がします。
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その昔、ジャケットを見て「これだッ!」と直感し、聴くと同時に撃沈したバンドのライブ・アルバムに再戦を挑むことにした。
思えば30年もの昔、なけなしのお小遣いから大枚はたいて買ったこの2枚組アルバムを、僕はほとんど聴きもせずに放り投げてしまっていた。
多分、通しで10回と聴いてはいないはずなのだ。
何しろ当時の僕には、フィル・ライノット(当時はリノットと標記されていたが)の、あのメロディが有るんだか無いんだか分からない、野太くて粘り気のある個性的なボーカルを、受け入れるだけの度量が無かった。
レインボーやスコーピオンズのようなメロディアスでハイトーンのボーカルに慣れた日本の少年の耳には、この「アイルランドの英雄」の声はとてつもなく変テコに聴こえたものだった。
いやいや、僕だけではないはずだ。
音楽雑誌の読者欄にも、当時「あのボーカルさえなければ良いのに!」みたいな投書があって、僕は思わず溜飲を下げた記憶がある。
この投稿にこそ、この頃の日本のハード・ロック小僧の気分が集約されているように感じたものだ。
それでもこのアルバムからシン・リジィは日本でもそこそこ売れ始め、続く「ブラック・ローズ」では、ギターにゲイリー・ムーアが参加という話題性も手伝って、まさに「ブレイク」と言っても良い程の高い評価を受けていたように思う。
ただ、残念ながらこの頃から、僕はハード・ロックというジャンル自体を積極的に聴かなくなってしまったので、リジィの人気がその後どうなって行ったのかについては、今に到るも知らないままである。
さあ、そんな因縁のあるアルバムと目が合ってしまったのだ。CDショップで。
相変らずカッコいいジャケットへの陶酔と、憎々しい思いとが激しく交錯した結果…。
買ってしまった。
またやってしまったか?
大いなる後悔と僅かばかりの期待を胸に、家に帰った僕は早速プレイボタンを押してみた。
やがて聴こえてくる、客席からの懐かしい「Lizzy、Lizzy …」の大合唱。
そしていきなりジャーン!と入ってくるバンド・サウンド。
あれれっ?
全然聴けるじゃん。
…ていうか、これ好きな音じゃん。
ボーカルは、もちろん野太くて粘り気のあるままだけれども、決して嫌いな声じゃない。
ジミ・ヘンドリックスに似ているのかな?
あのメロディが有るんだか無いんだか分からない歌も、近頃のラップ等で鍛えられた耳には、ものすごくメロディアスに聴こえる。
アクの強いボーカルに対して、このツイン・リードの美しさはどうだ。
二人の力量に均衡が取れているので、左右のギターをストレス無く聴くことができる。
一見綿密に構築された様式美の音楽であるにもかかわらず、思いのほかサラッとして聴きやすいのは、バンドの出自がアイルランドであると同時に、ギタリストの一人がアメリカ人であることが重要な鍵になっているに違いない。
遅ればせながらスコット・ゴーハムを、好きなギタリストの一人に入れることにしよう。
などなど考えながら、結局僕はアルバムを最後まで一気に聴き通してしまっていた。
そして、今更ながらに気づいた。
こりゃあ、ロック史上に残るライブの名盤だったんだ!
今回一番驚いたのは、ほとんどのメロディを、僕は完全といって良いほどに覚えていたということだ。
当時10回も通して聴いていないにも関わらずである。
それだけフィル・ライノットは曲創り、特にサビの創りかたがとてつもなく上手い。
そして、ギタリスト二人のギターセンス。
例えば「ハイウェイ・スター」のギター・ソロのような名フレーズが、いたるところに転がっているという感じだ。
思えば、僕はこれを「ハード・ロック」として期待して聴いたのが間違いだったのかもしれない。
これは今聴けば、紛れもない「ロック」であって、この音は決して「ハード・ロック」だけでは括れない。
初めからそのようにして聴いていれば、或いは僕の30年ものリジィ嫌いは生じなかったのかも知れない。
何と言うアホな空白の時間であったことか。
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多分ミュージシャンたちは、アンコールまでを予めプログラムに入れてショーを構成しているんだろう。最近ではアンコールのないコンサートってあんまりお目にかからない。
ところが過去に2回だけ、僕はアンコールのないコンサートを経験していて、この最近では一般的でない構成のために、これらのコンサートが今でも強く記憶に残っているのだから皮肉なものだ。
ひとつ目は1989年のストーンローゼズで、この時はアンコールどころか、ショーの前に「本日のコンサートはアーティスト側の意向により、演奏時間は一時間、アンコールは一切行いません」というアナウンスが流れて始まるという、ある種エゴイスティックなものだった。
ただ、記憶では、コンサートは一時間をフルに使いきった充実したものだったし、アンコールに関しても、ラストの『I Am The Ressurection 』の演奏中にメンバーが次々と退場して行き、ステージに残ったギターのジョン・スクワイアも最後の一音をグィーンとかき鳴らしたまま、楽器を置いてステージを去ってしまうので、誰もいないステージでただギターの和音がなり続けるという意表をついたエンディングだったために、なるほどこの余韻をぶち壊しにしないためにアンコールを拒否するわけか、と妙に納得させられたのを覚えている。
アンコールのないもうひとつは、93年のキンクス2度目の来日公演で、演奏も客のノリも決して悪くなかったにもかかわらず、レイたちはアンコールに応じなかった。
僕にとってはこれがキンクス初体験コンサートだったので、ムチャクチャがっかりしたけれど、しかし後になって冷静になると、これは貴重な体験だったのかも?と思えてきた。
近年どんなアーティストでも、演奏がイマイチだろうが客のノリが悪かろうが関係なしに、決められたアンコールをこなすのが一般的な中にあって、ショービジネス界に入って30年のベテランがそれを拒むという事態は、中々見られるものじゃない。
それでこそキンクス。予定調和を否定するその姿勢こそがキンクスだっ!
……とは思っているんですが、その後の名古屋公演を見た友達の話では、名古屋ではキンクスはノリにノってアンコールにもバンバン応えていたと言うし、うーっ!やっぱり観たかったアンコール。
あのコンサート、実は自分のなかでは、未だに消化不良のままなんです。
祈 再来日!
あっ、その前に活動再開か…。
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いくつかトラブルだったり、思い通りに行かないことが重なって、実は相当にヘヴィな1週間だった。
『VILLAGE GREEN PRESERVATION SOCIETY』を聴いてもいつものようには立ち直れず、例の100円で買ったキンクスの『Ultimate Collection』を聴いて何とか気を紛らわしていたのだがそれでも駄目で、いっそのこと別のアーティストを聴くことにして、セレクトしたのがウォーレン・ジボンの『SENTIMENTAL HYGIENE』だ。
ウォーレン・ジボンと言って、今となってはどれほどの人が知っているだろう。
「ロック界のペキンパー」とも呼ばれ、リアルで無骨な作風の名盤を数多く残しながら、2003年に56歳で世を去ったアメリカのシンガー・ソングライターだ。
ロシアからの移民で、プロのギャンブラーの家庭に生まれた彼は、ロサンゼルスを拠点に音楽活動を始め、1969年にソロデビューをするものの、これが全く売れずに、早くも半ば引退生活を余儀なくされる。
およそ7年のブランクの後に、旧友のジャクソン・ブラウンのとりなしでアサイラムと契約し、通算5枚のアルバムを発表するも、これまたほとんど全敗状態。1982年にはアサイラムからもクビを宣告されて、このショックからアル中となり、療養施設に送られたりもしている。
またもや5年間のブランクを経て、そのどん底の時期から脱するべく、REMやニール・ヤング、ボブ・ディラン、ブライアン・セッツァー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのFleaといった錚々たるミュージシャンのサポートを得て完成させた復帰作が、この『SENTIMENTAL HYGIENE』である。
69年のデビューから18年目の作品ということになるが、その間の実に12年間を失意のうちに過ごしてきた人の音楽だ。
一言で言えば、まさに「地獄を見た者の歌」。
しかし、それは全く陰鬱なものではなくて、むしろ過酷な状況を跳ね返す力強さの塊のような音である。
ニール・ヤングがギターで参加して、グランジ・テイストを添える、気迫みなぎるロック・チューンのタイトル・ソング。
ブライアン・セッツァーがバックアップする、50年代型ロックン・ロールの進化形といった風な『TRUBLE WAITING TO HAPPEN』。
ジョージ・クリントンがアレンジを施し、Fleaがベースで参加して、珍しくビルボードのHot Dance Club Playチャートで18位を獲得した『Leave My Monkey Alone』。
更には、心底泣ける『RECONSIDER ME』と『THE HEARTACHE』の2つのラブ・ソング。
全てが美しく、全てが力強い、魂のこもった名曲揃いの一枚だ。
ウォーレン・ジボンは本作の後、レコード会社を変えながら、地道な活動を続けるが、2002年に末期の肺癌、余命3ヶ月であることを告知されてしまう。
それから彼は、自分の残りの人生を最後のアルバム創りに賭ける。
そこに集まった沢山の友人たち。
ブルース・スプリングスティーン、ライ・クーダー、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルッシュ、ティモシー・シュミット、トム・ペティ、デビッド・リンドレー、ジム・ケルトナー、ジョン・ウェイト、エミルー・ハリス…
しかし、そのアルバム『The Wind』が完成した1ヶ月後の2003年9月、彼は自宅で仮眠をとったまま、還らぬ人となってしまった。
大きな成功、世界的な名声とは無縁の彼の一生である。
けれども、彼には、ここに挙げた以外にも、彼のバックアップならば喜んで引き受ける、多くのミュージシャン仲間がいた。ジェリー・ガルシアやデイヴ・ギルモアなど、なぜこの人達が?と驚きを禁じえないタイプの人達すら、この輪の中にはいたのである。
そして、もちろん決して数は多くないだろうけれども、彼を愛してやまない熱狂的なファンもいた。
長い不遇やアルコホリックな自分自身と戦いながら、おそらく幸福な人生を駆け抜けたウォーレン・ジボン。
彼の歌は、僕にこう教えてくれる。
「つまらないことでクヨクヨすんな!人生には落ち込んでる暇なんかないんだよ!」
おそらく人一倍の落ち込みを経験し、そこから這い上がってきたジボンである。
不良親父の説教のようでもあり、大人の男の真面目な忠告のようにも響くサウンド。
どちらにしても、僕は分厚い手で背中をバシーンと叩かれたような気分になった。
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なんとなく予感がして、ダムドのオフィシャル・サイトを覗いてみたら「間もなくニューアルバムが出ますからね」というアナウンスが書き込まれていて、そのタイミングの良さに我ながら少しばかり驚いた。
というのも、もし見落としがないのであれば、これは2001年に出た『Grave Disorder』以来、なんと7年振りの新作ということになるからだ。
この時点で「ダムドって何よ?」っていう人のためにちょっとだけ説明しておくと、ダムドはセックス・ピストルズ、クラッシュと共にイギリスの3大パンク・バンドと称されるロック・グループ。
当時、多くのパンク・バンドが「無政府主義者になってやる!」だの「ロンドンは燃えている!」だのといった政治的なアジテーションや、過激な言動で人気を博したのに対して、ダムドはパンクをメッセージではなく、その音楽スタイルで表現する珍しいタイプのバンドであった。
話は横道に逸れるけれども、この当時、キンクスやフーが「Godfather Of Punk」と呼ばれていたように、今日では、パンクというのは、テクニックに走りすぎるハード・ロックや難解なプログレッシブ・ロックを、もう一度KIDSの元に取り戻そうという、一種の文芸復興的なムーヴメントだったと理解されている。
であるので、政治的な主張や言動というものは、実は副次的な存在であって、つまり、キンクスやフーの直系の子孫は、音楽的にパンクを極めたこのダムドと、ポール・ウェラーのJAMくらいのものだったのではないだろうか。
逆にデイヴ・デイヴィスやキース・ムーンが、実際よりも10年遅く生まれてきて、R&RやR&BのみならずストゥージーズやMC5のような、60年代末のアメリカのニューウェーブを聴いて育ったら、きっとこのような音を出すことになっていたに違いない、と思わせるようなサウンドでもある。
さて、デビュー時にパンクの様相を呈していたから、一般的には「パンク・ロック」のカテゴリーに分類されることが多いダムドであるけれども、パンクの終焉と共に実に多様な音楽をやり始め、ハード・ロックであったり、メタルであったり、果てはパンクから一番遠いところにありそうな様式美に満ちたゴシック・ロックであったりを幅広く繰り広げていてるのを見れば、そうした分類には実のところ全く意味がないことがわかる。
しかし、そのような一切を踏まえた上で、彼らの音楽スタイルを敢えてカテゴライズするのであるならば「ブリティッシュ・ロック」と区切る以外にないのではないだろうか、と僕は常々思っている。
彼らの弾き出す音は、キンクスやフーに連なる、ブリティッシュ・バンドの音そのものなのである。
ダムドのニューアルバム『So, Who's Paranoid ?』は、11月17日にイギリスで、12月12日にアメリカで発売予定。ショップの他に、サイトからのダウンロード販売も行われるようです。
【PR】ダムドについてもう少し知りたいという方がいましたら、このブログの本体となっている僕のサイトのこのページに行ってみてください。一応アルバム紹介なんかもしていますので…。【PR】
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先月の末くらいからキンクスの6枚組ボックスセットの話がチラチラと出ていて、気になって色々調べていたんですが、大体の内容がわかりましたので、お知らせしておきます。
タイトルは『Picture Book』で、初期から『To The Bone』に到るまでの全時代をカバーする138曲入りの予定。初期の音源にはレイヴンズ時代のデモも含まれると言うから、この時点でびっくりです。
全体の1/3が未発表、未CD化ということなので、彼らのアルバムを全部揃えているようなディープなファンにも、少なくともCD2枚分程度は初めて耳にするレア音源と言うことになり、購買意欲がそそられること必至であります。
ヤバイです!
未発表音源の中で気になったものを少し挙げてみると、
『Come On Now』 のアウトテイク
『Who'll Be The Next In Line』 のデモテイク
『Dedicated Follower Of Fashion 』 のステレオテイク
『Dead End Street』 の初期テイク
『Waterloo Sunset』 のモノミックス
『Lola』 のモノ・シングルバージョン
『Apeman』 のモノ・シングルバージョン
『Preservation』 のシングルバージョン
『Come Dancing』 のデモ・リミックス
『Summer's Gone』 のEPリミックス
などなどあって、いやー、もうホントヤバイ!どうしても聴いてみたい!
もちろんこの他に未発表曲として、今までに聞いたことのないタイトルがかなりの分量入っているのも確認できました。
CDの他に60ページにわたるブックレットも付属していて、レイ・デイヴィスを始め、全ての(?)バンドメンバーへのインタビューや、未発表写真なども満載の様子。
となると、対訳付の日本盤を是非とも手に入れたいところですが、今のところ12月1日に英国盤が発売開始というリリースしかないようです。
イギリス盤をいち早く手に入れるか、国内盤の発売を待つか、悩ましいところです。
収録曲の詳細はこちらのサイトがわかり易いと思います。
ちなみに、HMVではもう予約が始まっているようです。→
(ただし英国盤のですが…)
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「ミック・ジャガーは、変化を求める若者の代弁者などではなく、利口な資本主義者だった」などと言われても、何を今さら、としか言いようがない。
ロックに暴力衝動や悪魔的な何か、常軌を逸した何ものかを見て「ジェット貴族」と称されるデカダントな生活を享受する一方で、今日のビッグ・ビジネスへの成長を予見していたミック・ジャガーは、60年代からすでに「利口な資本主義者」そのものであることをあからさまに体現していたではないか。
例えばエド・サリバン・ショーでは番組側からの要請を受け「歌詞になんか意味はない」と言って「Let's Spend The Night Together」を「Let's Spend Sometime Together」と歌うことに同意したり、インタヴューでは「ロックで革命が起きるほど世の中は単純じゃない」と発言するなどしながら、「若者の代弁者」に祭り上げられることを周到に回避してきたのは、他ならぬミック・ジャガーその人だ。
90年代に入り、ロックの持つダーティーなイメージが完全にネガティヴなものとなった時点で、ビジネスマンとしてのミック・ジャガーは「60年代に起こったことは壮大なでっち上げだったんだ」として、自分達の過去は作り物だといわんばかりの発言をすらしているのである。
悪魔のようなカリスマ性と今日的な経済感覚。
それがミック・ジャガーである。
自分の中のデーモンを開放するだけで、40年以上も第一線に留まることなど不可能だ。
大衆の期待を裏切ることを承知の上で、自分の虚像を破壊することが出来るかどうか、そこがミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズの、あるいは60年代の終わりと共に死んでいった数多くのミュージシャンとの最大の違いである。
ミックのこうした目聡さは、ファンにしてみれば周知の事実であって、今更ケンブリッジの先生に研究してもらうことじゃない。
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まあ所詮キンクスなので、需要も大したことないだろうからCDショップやレンタル店にコーナーがないのは諦めている。
もちろんコーナーがあるに越したことはないけれども、TSUTAYAやBOOK-OFFなどでは「キンクス」というタグはまず絶無。
辛うじて「ロックK」の片隅にっていうのが定位置であって、その「ロックK」にすら、アリスタ盤の一枚さえ無いことのほうが多いというのが悲しい現状です。
新宿や銀座のHMVあたりでも状況は似たり寄ったりなわけで、コーナーこそあるものの、在庫はアメリカの編集盤か、レイのソロが1〜2枚。
コーナーのタグはあるけど在庫なし、なんて状態がしばらく続くこともざらにあります。
世の中のこれからキンクスを志す人達には、過酷な状況が続いていますね。
さてそんな中、近所に結構大きいブックセンターがオープンして、CDや中古CDも扱っているというので行ってきました。
お目当ては他のアーティストだったのですが、どうも「ロックK」の棚を必ず覗く習慣がついている私です。
大きい店舗の割に、USED品の「ロックK」の在庫はなんとたったの4枚…。
しかし、そのイニシャル「K」のCDのうち一枚に「KINKS」の文字が燦然と輝いているではありませんか!
『The Ultimate Collection 』
ああ、これは良いベスト盤だねぇ。
初期の『You Really Got Me』『All Day and All of the Night』『Tired of Waiting for You 』の3大ヒットから『Sunny Afternoon』『Waterloo Sunset』の時代を経て『Celluloid Heroes』『Come Dancing』まで、レーベル超えて重要な曲がほとんど全部入ってるじゃない。
これからキンクス聴く人は、このCDを手始めにすると分かり易いかも。
まあ、自分的には持っている曲ばかりだから、わざわざ買うこともないかなぁ?
などと悠長に構えていた私でしたが、その表面に張られたプライスカードを見て、一瞬思考停止になりました。
「ひゃ、ひゃく、ひゃくえんっ!」
そうです、このブックセンターでは、あろうことか中古とはいえキンクスのこんなに素晴らしい2枚組みベスト・アルバムを、なんと100円で売っていたのです。
おお、私のキンクス…。
人気の低迷、需要の悪化もここまで来たか…。
これはもしや100円均一コーナーに違いないと思い直し、手当たり次第に周りのCDを引っ張り出してみても、他はまっとうな値段で売られているものばかり。
やっぱりこれはキンクスだからこの価格なんだよーっ!
これじゃレイたちも恥ずかしくって活動再開なんか出来ないよ。
再開しても、間違いなく日本になんか来てくれないよーっ!
という訳で、これが私の、キンクス普及活動に益々力を注ぐことを誓った瞬間でした。
誓いの証しにそのCDを、ありがたく100円で買って、今一生懸命聴いています。
全部知っている曲なんだけど、やっぱり良いよこのベスト。
最初に書いたような状況なので、キンクスを全部揃えるというのも今では中々難しいのかも知れない。
それでもキンクスの歴史を取り敢えず体験したいと言う人がいたら、これを僕は第一にお薦めしておきます。
まあ、さすがに100円で手に入ることは滅多にないと思いますけどね。
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不覚にも、ミック・エイヴォリーが新しいバンドを組んでいたことに、全く気づいてませんでした。
どうやら、去年の6月くらいから活動していたらしいというのに…。
本当にどうもすいませんでした、エイヴォリーさん。
さて、ミックのその新しいプロジェクト、
バンド名は「THE HITMEN」
メンバーはミックのほか、
オリジナルのホリーズにいたベーシストのEric Haydock。
70年代以降のラヴ・アフェアーの中心人物だったヴォーカリストのMartin Lyon。
同じくラヴ・アフェアーやスイート(脱退したブライアン・コノリーが立ち上げた方のスイート)、デニー・レインなどをサポートしてきたTed Tomlin。
マインドベンダーズを辞めた後のウェイン・フォンタナのバックバンドにいたGraham Pollock 。
であるらしいのだが、僕としてはちょっと専門外の方々なので、ピンと来る人は残念ながらいないなぁ。
まあ、ラヴ・アフェアーと言えば、キンクスのキーボードだったイアン・ギボンズも一時在籍していたから、そうした人間関係もあるのかなあと、そんな些細なところに若干興味は惹かれますけどね。
えー、余談ですが、ラヴ・アフェアーの初代キーボードは、今や日本に移り住み活動を続ける、あのモーガン・フィッシャーさん。
ラヴ・アフェアーを辞めたモーガンさんは、モット・ザ・フープルに加入してイアン・ハンターと活動するわけですが、最近のイアン・ハンターのキーボードはこれまたイアン・ギボンズなわけで、まあ偶然といえば偶然でしょうが、イギリスのミュージシャンって、意外と狭い世界で行ったり来たりしているのかも知れませんね。
閑話休題
「THE HITMEN」サイトのトップには、メンバーそれぞれの写真があって、それをクリックすると各自のプロフィールが開くのだけれども、ミックのプロフを読んでみると「ミック・ジャガーやキース・リチャード、ブライアン・ジョーンズと共に、後にローリング・ストーンズとなるバンドのメンバーとして、ほんの少しだけ活動をしてました」という、例のキンクスファンなら気恥ずかしくなる一文が冒頭に載っていて、僕もモニターの前で一人恐縮してしまいました。
人間いくつになっても箔を付けたがるものなのですね。
あの控えめでつつましいミック・エイヴォリーにしてこうなのですから…。
何れにしても、もう一人のオリジナル・キンクス、ミック・エイヴォリーの健在ぶりは嬉しいニュース。
なんだかCDも出るみたいだし(自主制作かも知れないけど)、バンドの末永い活動に期待したいと思います。
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秋晴れの天気が2日ばかり続いている間中、何故か僕の頭の中にはルー・リードの死ぬほどの名曲『Perfect Day』が鳴りっぱなしだ。
もちろん僕はパーフェクトな一日を過ごしているわけではなくて、仕事場の窓から見える青空にため息ばかりをついていただけである。
ただの完璧な一日。
公園でサングリアを飲み、
やがてあたりが暗くなる頃に、僕たちは家に帰る。
動物園で動物に餌をやり、
そして映画を観て、僕たちは家に帰る。
ああ、こんなにも完璧な一日、
君と過ごせたことが嬉しい。
完璧な一日、
君は僕を惹きつけて離さない。
情景が目に浮かぶシンプルな歌詞。
こんなにも晴れた秋の日に、愛しい人と時を過ごせたら、それは完璧な一日に違いない。
ところが、ルー・リード自身は「完璧な日だったら『Perfect Day』みたいな曲は書かない」と言っていたのだという、するとこれは「完璧な一日」についての歌ではなくて「完璧な一日を夢想する」歌なのかも知れない。
大切なものをいたわり慈しむようなこの穏やかなメロディも、一方では手に入らない愛しい者を追い求めているかのようでもある。
もちろん、この人生に「完璧な一日」なんて、そう幾度も訪れるものじゃないことは誰だって知っている。
だけど、稀に訪れるその『Perfect Day』があるから、人は平凡な毎日を生きていられるのかもしれない。
仕事場から見える秋晴れにため息をつきながら、僕はずっとそんなことを考えていたのでした。
『Perfect Day』はルー・リードのソロ2作目『Transformer』の中の1曲。
アルバムには『Vicious 』 『Walk On The Wild Side 』といった有名曲が入っていて、名盤の誉れ高い。
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