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アーサーを読み解く3 「Some Mother's Son」



 ある母の息子が大地に横たわる
 今日、誰かがある母の息子を殺したのだ
 頭を兵士の銃に撃ち抜かれて
 母親は皆、息子の帰りを待ちわびるが
 ある母の息子が、今日家に戻ることはない
 ある母の息子には墓さえもない

 二人の兵士が塹壕で戦っている
 一方の兵士が太陽を一瞥した瞬間
 幼い頃の楽しい思い出が彼の頭を夢のようによぎった
 戦友の彼を呼ぶ声に、彼はふと我に返ったのだが
 振り返る間もなく彼は死んだのだ

 ある母の息子が大地に横たわる
 家には額に飾られた彼の写真
 だが、死んだ兵士はみな同じ顔に見える
 両親はまるで学校から帰るわが子を待つように
 息子が戻るのを待っている
 ある母の息子は亡骸となって横たわっているのに

 どこかで誰かが泣いている
 また、ある者はとても勇敢であろうとする
 たとえすべての子供たちが戦場に散ってしまっても
 それでも世界は回り続けるのだ

 ある母の息子が大地に横たわる
 しかし、彼の母の目には
 彼は家を出たその日と同じ姿のままだ

 両親は彼の写真を壁に掛けている
 額縁に花を供えて
 母の記憶から彼の思い出が消えることはない


この曲について、多くを語る必要はないと思います。

僕たちは、例えばイラクで1,000人の兵士が戦死したというニュースを耳にした時に、その「1,000人」を、まるで記号か何かみたいに受け入れて、そのまま思考停止してしまうことがほとんどです。
しかし、当たり前の話ですが、亡くなった兵士の一人一人には、小さい頃に友達と遊んだ楽しい思い出があり、息子の無事を祈って待ち続ける母親がいて、何事もなければ享受できるはずだった、それから先の人生がありました。
「死者1,000人」として、記号のように数えられる人間など、本当はいないはずなのです。

これはキンクスの歴史上、恐らく唯一のプロテストソングになるかと思います。
これまでにも「Two Sisters」や「Waterloo Sunset」「Village Green」といったように、人間を取り巻く細やかな情景を丹念に描いて、数々の佳曲を発表してきたレイ・デイヴィスでしたが、本作でもその手法は十分に生かされており、ことさら「戦争反対」と声を張り上げることなしに、見事な反戦のメッセージを伝えてくれます。

ジュリアン・ミッチェルとレイによるオリジナルのストーリーでは、アーサーには兄弟がいて、名前はエディ。彼は第一次世界大戦中の1916年に、フランスで起きた「ソンムの戦い」で戦死したことになっています。
また、アーサーにはこの伯父の名を貰った、同じくエディという息子もいましたが、彼も朝鮮戦争で戦死してしまいます。

この「Some mother's son」は、恐らく兄弟の方のエディの戦死に対して書かれた曲だと考えられます。
しかし、その対象が第一次世界大戦であれ、朝鮮戦争であれ、あるいは現代の何がしかの戦争であれ、永遠に変わることのない、前線に駆り出された一市民とその家族との、やるせない情景が聴く者の胸を打ちます。


さて、冒頭に「多くを語る必要はない」などと書きましたが、ここで蛇足ながら、若干の考察を加えておきます。

この曲を読み解くひとつのキーワードは、歌詞の第2ブロックにある「塹壕(trench)」という言葉かと思います。

ここからはまた、例によって一夜漬けの講釈ですが、そもそもアーサーの兄弟が戦死したことになっている、この「ソンムの戦い」とは、第一次世界大戦における最大規模の戦闘となった、フランス北部ソンム河畔での連合国軍(ここでは主にイギリス・フランス)と同盟国軍(主にドイツ)との会戦をいいます。
戦闘は7月1日から11月19日まで続きましたが、その約5ヶ月間の各国軍の死者は、イギリスが42万人、フランスが19万5千人、ドイツが50万人といわれ、これは後に20世紀最大の愚行とも称されています。

特にイギリス軍は、資料によれば開戦初日の7月1日だけで死者1万9240人、負傷者5万7470人、行方不明者2152人を出して、戦史における1日の損害の世界記録を樹立した、とありますから、イギリスにとっては後々まで深い傷跡として残る、悲惨な戦いの記憶なのだと思います。

その第一次世界大戦当時、戦闘は互いに自軍の陣地に塹壕を掘って対峙する、いわゆる「塹壕戦」が主流でした。
このソンムの戦いも、その塹壕戦の消耗の中で、伝えられるような膨大な死者を出した戦闘だったわけですが、後にイギリスではこのソンム戦を描いた、その名も「ザ・トレンチ <塹壕>」という映画も製作されていることから、たとえば日本では「ひめゆり」という言葉が、悲惨な沖縄戦を思い起こさせるのと同じように、あるいは(アルバムが発表された)60年代当時のイギリスにおいて、この「塹壕」という言葉には、ソンムの悪夢を想起させる心理作用が未だ残っていたのかも知れません。

この「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」というアルバムは、レイ・デイヴィスがイギリスの近代史にこだわって、こだわって、こだわり抜いて創作した渾身の作であると思います。
そうであるだけに、これまでにも何度か触れましたが、単に「英語を話せる」というだけでは理解しきれない、英国人だけの心の襞に触れる、皮肉やユーモア、暗喩などが、至る所に散りばめられているのでしょう。

イギリス人は本当に「塹壕」から「ソンム」を連想したのかと問われれば、それは非英国人の僕が想像をたくましくして作り上げた、勝手な推察に過ぎませんが、本アルバムにはその様に、ついつい深読みをしたくなってしまう、魅力的な言葉が溢れています。



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| Arthurを読み解く | 21:02 | comments(0) | - | pookmark |
レイ・デイヴィスがステージでピートを追悼



NME記事からの抜粋


レイ・デイヴィスは6月27日に行われたGlastonbury crime down at 2010 festivalのステージ上で、23日に亡くなったキンクスの初代ベーシスト、ピート・クエイフに追悼の意を表した。

その際レイは「もしも彼がいなければ、僕が今日、ここに立つことはなかっただろう」と発言して、『See My Friends』をピートに捧げた。
更に、ピートが生前フェバリット・アルバムに挙げた「The Village Green Preservation Society」からも、『Johnny Thunder』と『The Village Green Preservation Society』の2曲を演奏した。

レイの当日のプレイリストは以下の通り。

 I Need You
 Dedicated Follower Of Fashion
 Im Not Like Everybody Else
 Til The End Of The Day
 After The Fall
 20th Century Man
 Sunny Afternoon
 You Really Got Me
 Shangri-La
 Victoria
 See My Friends
 The Working Mans Cafe
 Johnny Thunder
 The Village Green Preservation Society
 Lola
 Waterloo Sunset
 Days
 All Day And All Of The Night

| Around The Kinks | 12:13 | comments(4) | - | pookmark |
Pete…!


キンクスのオリジナル・ベーシスト、ピート・クエイフが6月23日死去しました。

デンマークで透析を受けていたことは知っていましたが、ここまで悪化しているとは思いませんでした。

若干混乱していて、何を書いてよいのか分かりません。

もう40年以上も前にキンクスを離れ、その後も表舞台にはほとんど立つこともなく、その演奏も初期の5〜6枚でしか聴くことはできませんでしたが、それでもその強烈な個性で、最後までキンクスのオリジナル・メンバーとして伝説のように語られ続けた人です。

僕たちにとって誇りだったのは、キンクスはオリジナルメンバーが誰ひとり亡くなっていない、ほぼ唯一の60'sグループだったということでした。
これでその希望は潰えましたが、あなたが残してくれたプレーはこれからも生き続けます。

60年代の「本当のベーシスト」
長い間の闘病、お疲れさまでした。

そして

ありがとう、ピート!
安らかに眠ってください。
| Around The Kinks | 12:27 | comments(6) | - | pookmark |
アーサーを読み解く2 「Yes Sir, No Sir」

 はい閣下! いいえ閣下!
 どこへ行けばよろしいですか?
 何をすればよろしいですか?
 何を申し上げればよろしいですか?

 はい閣下! いいえ閣下!
 どこへ行けばよろしいですか?
 何をすればよろしいですか?
 どう振る舞えばよろしいですか?

 はい閣下! いいえ閣下!
 口をきいてもよろしいですか?
 息をしてもよろしいですか?
 何を言えば、どう振る舞えば、何を言えば

  では、お前は高みを望めるとでも思っていたのか
  無駄な夢など見ぬが良い、それに下らん希望もな
  所詮お前は蚊帳の外、我々の芝居には入れない
  お前のそんな野心など、その軍嚢に放り込め
  煙草のひと包みもあれば、幸せになれるような奴め
  さあ、胸を張れ、腹を引っ込めろ
  わしの言うとおりにするのだ!
  そう、今すぐに!

 はい閣下! いいえ閣下!
 どこへ行けばよろしいですか?
 何をすればよろしいですか?
 何を申し上げればよろしいですか?

 はい閣下! いいえ閣下!
 口をきいてもよろしいですか?
 息をしてもよろしいですか?
 何を言えば、どう振る舞えば、何を言えば

  お前がだれであろうと関係ない
  お前のような奴は何処にでもいる
  居場所というのをわきまえるのだ
  権力は守られなければならん
  そして、我々こそがその権力の場に立つ者なのだ
  奴らには世のために役立っているとでも思わせておけ
  それから、家族のために戦っているともな
  そうすれば、迷わず身も心も捧げてくるだろう
  あの屑どもに銃を与えよ、そして奴らを戦わせるのだ
  脱走する奴は直ちに射殺せよ
  死んだら女房に、勲章のひとつもくれてやればいい
  わっはっは!

 はい閣下! いいえ閣下!
 どうか死なせて下さい
 頭が変になりそうなんです
 はい閣下! いいえ閣下!
 3つの袋は満杯であります
 何をすればよろしいですか?
 何を申し上げればよろしいですか?
 何を言えば、どう振る舞えば、何を言えば


オープニングの「ヴィクトリア」で、大人になったらこの国のために戦うんだ、と大志を抱いていたアーサーでしたが、続く2曲目では、歌詞をご覧いただいて分かるとおり、軍隊生活の中で、早くもその純真な希望が打ち砕かれていく、という内容のようです。

前回のエントリーで、アーサーの生年を1890年代前半と推察したわけですが、これをそのまま採用すると、彼が成人するのが1914年前後。
するとそれは、第一次世界大戦の開戦時期とそのまま一致するわけで、大体このあたりが曲の時代背景となるのかなと思います。


さて、今回歌詞を訳していく中で、どうにも引っかかったのが、最後のブロックに出てくる「3つの袋は満杯です」の部分でした。
原文で言うと“Three bags full Sir”であるわけですが、前後に何の脈絡もなく登場する、この「3つの袋」って何なんだ?

ということで、初めは英語の慣用句かと思って調べてみても見当たらず、結局ネットで検索しまくって、遂に発見したのが、マザーグースのなかの次に挙げる一節。


Baa baa Black Sheep (ちなみにキラキラ星のメロディです)

 Baa baa black sheep
 Have you any wool?
 Yes sir, yes sir
 Three bags full
 One for the master
 And one for the dame
 And one for the little boy
 Who lives down the lane.

 メエ、メエ、黒い羊さん
 羊毛をお持ちかい?
 有りますとも、有りますとも
 3つの袋に満杯ね
 ひとつはご主人様のため
 そして、ひとつは奥様に
 小道の奥に住んでいる小さい子にもひと袋


原文を見ると“Yes sir, yes sir”があり、“Three bags full”も入っているわけで、となるとこれ、キンクスの「Yes Sir, No Sir」の本歌である可能性、非常に高いじゃありませんか。

解説によれば、この黒い羊の唄は、昔の貴族による庶民への抑圧を歌ったものだそうで、
つまり「ご主人様」は国王、「奥様」は貴族、そして最後の「小さい子」が庶民であって、要は民衆の富の3分の2は国の偉い人が持って行ってしまう、という風刺曲なんですね。

仮に「Yes Sir, No Sir」が「Baa baa Black Sheep」の本歌取りをしているのだとすると、
キンクスが言わんとすることは以下のようになります。

すなわち
志を抱いて軍隊に入隊したアーサーでしたが、軍の要職は旧態依然とした支配階級である貴族たちが占めており、たとえ能力があったとしても、労働者階級出身の者は高い地位には登れない。それどころか、アーサーのような庶民出の兵士は、まるでチェスの駒かなにかのように、道具同然に扱われて、たとえ戦死しても勲章ひとつで誤魔化されてしまう。
そうした現実を目の当たりにしたアーサーは、少年の頃の希望を失い、「どうか死なせて下さい。頭が変になりそうなんです(Please let me die Sir. I think this life is affecting my brain)」というとろにまで追い詰められてしまう。

「ヴィクトリア」での溌剌としたオプティミズムから一転、何ともやるせない内容ですが、アルバムのテーマが「衰退ならびに滅亡」なのであるからして、徐々に重い方向へと筋が運ぶのは、これは無理からぬところでしょう。


これはちょっと余談ですが、ピーター・バラカン氏によれば、キンクスの「サニー・アフターヌーン」というのは、実は英国貴族の没落した様子を描いた曲なんだそうです。
もともと特権階級で、税金など払ったことのなかった貴族たちでしたが、20世紀になると所得税やら相続税が課税されるようになり、先祖代々の土地家屋を拝観料を取って見世物にしたり、あるいは切り売りでもするしかなくなってしまったといいます。
結局、この曲の主人公は、何もかも根こそぎ税務署に持っていかれて、「残っているのは午後の日差しだけ」とうそぶいてみせる、という内容ですが、しかし、これって、イギリスのそうした貴族事情を知らなければ、何を歌っているのか推し量ることは困難ですね。

まあそれはともかく、多くの貴族はそのように、時代の波に流されるようにして落ちぶれて行ったようですが、まだアーサーのこの頃には、隠然と権勢を保っていたということでしょう。


それにしても、マザーグースといい、階級社会といい、キンクスの歌というのは、イギリス人なら誰でも知っているけれど、そうでない人には中々分からないという、イギリス人の間だけの暗黙の了解の上に成り立つことが多いわけで、だから、そんなレイ・デイヴィスの歌を「読み解く」などと大言壮語したことを若干ながら後悔しつつ、アーサーの解読は次回の更新に続きます。


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| Arthurを読み解く | 19:44 | comments(2) | - | pookmark |
Happy Birthday Mr. Ray Davies

ray.jpg

レイモンド・ダグラス・デイヴィス様
お誕生日おめでとうございます。

いつまでも年齢を感じさせないあなたのご活躍ぶりを拝見し
いちファンとして本当に嬉しく思うとともに
長い間あなたのファンを続けてきたことを
心から誇りに思います。

これからも良い音楽、良いパフォーマンスで
私たちに夢を与えてくれる存在でいてください。


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| Around The Kinks | 18:00 | comments(2) | - | pookmark |
映画「DO IT AGAIN」プチ情報

相変わらずロードショー公開じゃなくて、各地の映画祭を転々とし続けている、キンクスの再結成を追ったドキュメンタリーの「DO IT AGAIN」ですが、いよいよアジア上陸ということで、6月29日には台北フィルム・フェスティバルでの公開が控えています。

そこで、その後どうなるのか、公式サイトで上映予定を見ていたところ、10月15日には釜山国際映画祭での上映が決定しているじゃないですか。

そこで気になって、今年の東京国際映画祭のスケジュールを調べたら、これが10月23日から開始になっている。
隣の韓国で10月15日上映するということは、その翌週くらいに日本で公開される確率って、これ非常に高い気がするのですが?

東京国際映画祭は、現在、作品エントリーの受付中ということで、上映作品が発表されるのは7月15日以降ということになりそうですが、ちょっと期待して見守りたいと思います。


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| Around The Kinks | 10:08 | comments(2) | - | pookmark |
アーサーを読み解く1 「Victoria」

victoria.jpg


 その昔、人は清らかに生きていた
 セックスは悪で猥褻なもの
 そしてガツガツ金を稼ぐことは
 それは卑しいことだった
 貴族のお屋敷があって
 クロッケーの芝生や、緑豊かな村もあった
 ヴィクトリアが女王だった頃のことだ

 愛するこの国に生まれついたことを
 僕は幸運に思っている
 貧しくたって、自由があるから
 大人になったら戦いに行く
 祖国のために命を捧げるのさ
 ヴィクトリアの陽が
 沈み行くことのないように

 希望と栄光の国
 ヴィクトリアの帝国
 希望と栄光の国
 ヴィクトリアの帝国

 カナダからインドまで
 オーストラリアからコーンウォールまで
 シンガポールから香港まで
 西も東も
 金持ちだろうと貧者だろうと
 それらすべてを
 ヴィクトリアは愛していたんだ


歌詞の中に歌われるように、カナダからインド、オーストラリア、アジア、アフリカに至るまで、世界中の至るところを植民地化して、史上最大の大帝国を作り上げ、そこに君臨したのがヴィクトリア女王。
在位が1837年から1901年までと、19世紀中頃から末期までを、まさにイギリスの象徴として生きた方ですね。

この時代には、世界中から集まる富と、産業革命の完成および工業主義への転換によってイギリス経済が成熟し、世界最初の万国博覧会の開催、ダーウィンによる進化論の発表、ディケンズやルイス・キャロル、オスカー・ワイルドといった文学、あるいはターナーに代表される美術の隆盛など、ヴィクトリア朝の文化が咲き誇った

…というのは一夜漬けで仕入れた、ゴク浅ーい、にわか知識ですが、でもまあ、このあたりが彼女の時代の正の側面と言えるでしょう。

その一方で、この繁栄には負の側面も少なからずありました。
アヘン戦争のような、えげつない手段も辞さずに版図を広げる、強引な植民地主義。
もちろん、その植民地政策は、統治される側からすれば、理不尽な抑圧に他なりません。

また、国内における富の蓄積は、市民の間での貧富の差を増大させました。
実際、ロンドンのイーストエンドには、貧困と犯罪が蔓延する大貧民窟が広がり、売春婦の数が増大。
その売春婦を狙った、切り裂きジャックのような猟奇犯罪が横行したのもこの時代だったのです。


で、何が言いたいかと言いますと、つまるところ「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」とは、ヴィクトリア朝の時代に端を発して現代に至る、イギリスの正の側面と負の側面、あるいは「支配する者」と「支配される者」との歴史を、支配「される」側から描いた一大叙事詩だということです。


この物語の主人公アーサー・モーガン氏は、恐らくこのヴィクトリア朝末期のイギリスに、労働者階級の子として生を受けました。西暦で言えば1890年代の前半といったところでしょうか。
19世紀末のイギリスには、壮麗な領主の館や、キンクスが前作の「ヴィレッジ・グリーン・プリザベーション・ソサエティ」で描いたような、青々とした緑が続く素朴な村が、まだまだ沢山あって、そして女王様のご威光が、その隅々にまで光り輝いていたことでしょう。

そんな時代にあって、彼は「人生は清くあるべきだ」「性道徳は厳格であるべきだ」「金儲けは俗悪な行為だ」といった、ヴィクトリア朝的倫理観にどっぷりとつかって成長します。
さらに彼は「この国のためなら死ねる」という、忠誠心をも併せ持っていたのです。

本来であれば讃えられるべき、この「倫理観」と「忠誠心」という、ふたつの意識を持ち合わせたが故に、彼はそののちに来る、荒波のような20世紀の弱肉強食社会の中で、「支配される側」=「負け犬」として生きることを余儀なくされてしまうのです。


ということで、アルバムのオープニングを飾る、この『ヴィクトリア』は、物語の根底をなす時代的な背景と、主人公のキャラクター説明を主眼に据えた、見事なプロローグであると言えるでしょう。

このあと成長したアーサー君には、ほろ苦〜い人生が待ち受けているのですが、その内容は、次回以降の更新に譲ることにいたします。

それにしても…
清く正しい愛国者。愛すべきモーガン氏。
僕ならこんな人物を、ひどい目に合わせようなんて、思いもしませんけどねえ。
やはりと言うか、レイ・デイヴィス先生の考えることは、僕のような凡人とは一味もふた味も違っているようです。


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| Arthurを読み解く | 17:52 | comments(6) | - | pookmark |
ロック・オペラ「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」を読み解く(その序)

ビートルズ、ストーンズ、キンクス、フーと並べて、日本で一番知名度が低いのは、どう贔屓目に見ても間違いなくキンクス。
でも、バンドとしてのキンクスは知らなくても、彼らの曲を知っている日本人は思いのほか多いんじゃないだろうかと、僕は常々思っています。

ひょっとしたらの話ですけど、とりたててロック・ファンではない一般的な日本人に、先の4大バンドの曲を聴いてもらって、一体どれくらいの人がその曲を知っているかを尋ねてみたら、まあ、ビートルズの曲の認知度がダントツとしても、次に知られているのは、実はストーンズじゃなくて、案外キンクスなんじゃないでしょうか?
「You Really Got Me」を筆頭に、「All Day and All of the Night」あたりは度々テレビでも流れるし、ちょっと以前には「I'm Not Like Everybody Else」や「I Gotta Move」がCMに使われたりもしたものです。

ただ、初期の頃のコンパクトでキャッチーな楽曲が頻繁に流れる一方で、キンクスのキャリアからすれば圧倒的に長い時間であり、膨大な作品数であるはずの、60年代中期以降の曲の認知度というのは、これはもう限りなくゼロに近いほど誰にも知られていない、というのが日本の実情だろうと思います。

さて、ではその原因は?と考えれば、それは勿論曲のタイプが変わってきたから、というのは当然あるとは思いますが、それと同時に、日本人にはとっつきにくい「ロック・オペラ」の乱発というのも、また大きな要因の一つだと思われます。

アルバム全体のストーリーを把握しながら、外国語の歌を聴くという行為は、マニアにはたまらなく魅力的でも、やはり普通のリスナーには、これは相当に敷居が高い。
しかも、キンクスのロック・オペラ作品は、フーのように1枚や2枚ではない。「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」「ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦」「プリザヴェイション第一幕」「プリザヴェイション第二幕」「ソープ・オペラ」「不良少年のメロディ」というように、ざっと数えて6枚ものアルバムを出しているし、ここに「ヴィレッジ・グリーン・プリザベーション・ソサエティ」と「パーシー」という、厳密にはロック・オペラとは言わないかもしれないけど、それに近い構造をもつアルバムを加えれば、実に8枚にも上るマニアックな作品群を作りあげているわけですから、敬遠されるのが逆に当たり前と言っても差し支えないような感じさえしてきます。


さて、そこで…
いちファンとしては、このような状況が実に口惜しい。
今さらではあるけれども、日本の音楽ファンに、もうほんのちょっとでいいからキンクスを聴いてもらいたい。
そのために、じゃあ、このリスナーのロック・オペラ・アレルギーを少しでも取り除くことは出来ないだろうか?


…などと思い悩んだ挙句、
ではまず手始めに、彼らの代表的なロック・オペラ「アーサー」の全曲解説でもやってみようかな、などという大それた考えに、思考は発展していったわけです。


「アーサー」の全曲解説。
しかしながら、僕は英語がまるでダメです。
これまでにも、このブログで歌詞の和訳をやったことはありますが、あれは辞書サイトと首っ引きで、四苦八苦して書いてきたものなのです。

なので、今回も慎重に慎重に、1回につき1曲を、ボチボチと書いていくことにしてみます。
意味の取り違えもあるかもしれませんが、そこは御愛嬌として、コメントででも指摘していただいて、みんなで考えていけたらいいな、とも思います。


それでは、今回はプロローグということで、アーサー全体のストーリーをご紹介しておくことにします。
以下はレイ・デイヴィスと一緒に「テレビドラマ版アーサー」の脚本を書いた、ジュリアン・ミッチェルによるプロットです。
日本での初回盤CDにおける、萩原健太氏の解説からいただいたものであります。


主人公の名前はアーサー・モーガン。
労働者として無難に勤め上げ、今は引退。ロンドン近郊の“シャングリラ”と呼ばれる家に住み、静かな毎日を送っている。
彼には愛するローズという妻がいて、デレクという息子がいるが、もう一人の息子、エディは戦争で死んでしまった。
エディの息子、ロニーは“世界は変わるべきだ”と真剣に考えている学生だ。
デレクは妻のリズと二人の子供とともにオーストラリアへ移住しようとしている。
この物語は彼らがオーストラリアに移住する前日の様子を描いたものだ。


と、こんな感じのストーリー。
まあアルバムを聴いただけでは、アーサーのファミリーネームが「モーガン」であることも分かりませんし、ローズもデレクもエディもロニーも一向に出て来ませんが、いやー、それにしてもWhoのトミーなんかと比べたら、恐ろしいくらいに面白みのない物語ですね。

ちなみに、この主人公のアーサーというのは、レイやデイヴの姉であるローズさんの夫の名前でありまして、彼は一家をあげてオーストラリアへ渡った実在の人物。
すると、アルバムには出てこないデレクやエディやロニーというのも、恐らくアーサーを取り巻く実在の人々に違いないのでしょうが、しかしそれはまた別のお話であります。


さて、それはそれとして、ではこのストーリーに、レイ・デイヴィスが描いた12曲は、一体どんな風に絡んでくるのでしょうか?
主人公のアーサーと、彼のメタファーであるところの大英帝国は、どんな具合に衰退し、滅亡へと向かうのでしょうか。


この続きは次回以降の更新から、徐々に考えていきたいと思います。


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| Arthurを読み解く | 18:04 | comments(2) | - | pookmark |
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