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アーサーを読み解く9 「She Bought A Hat Like Princess Marina」




 あの娘は社交会に行くために
 マリーナ王女みたいな帽子を買った
 なのに窓拭きの時にも
 階段をゴシゴシやる時にも
 いつでもそれを被ってる
 アスコットなんかじゃ彼女にお目にかかれない
 時間もお金もないからね
 だけどあの娘は
 マリーナ王女みたいな帽子を買ったんだ
 彼女は何も気にしちゃいない

 あいつは貴族の気分を味わいたくて
 アンソニー・イーデン卿みたいな帽子を買った
 でも奴にはロールスもベントレーも手が出ない
 中古のフォードが精一杯
 妻子を養わなきゃならないし
 服や靴にもお金がかかる
 だけどあいつは
 アンソニー・イーデン卿みたいな帽子を買ったんだ
 奴は何も気にしちゃいない

  なあ、10セント恵んでくれねえか
  女房が腹を空かしてるし
  ガキどもは泣きっぱなしなんだ
  貧乏でプライドなんかズタズタだ
  なあ、恵んでくれねえか
  10セント恵んでくれねえか

 あの娘はマリーナ王女みたいな帽子を買った
 近所のみんなからは
 とっても良くお似合いよって言われるけれど
 家の戸棚には食べるものさえない有様
 ご近所さんも似たり寄ったり
 だけど彼女を見た者は
 きっと金持ちなんだと思うだろう
 だって彼女のほほ笑みは
 まるで百万長者みたいだから
 だってあの娘は
 マリーナ王女みたいな帽子を買ったんだ
 彼女は何も気にしちゃいない
 彼女は何も気にしちゃいない


タイトルになっている「マリーナ王女」という人物は、20世紀中頃にイギリス王族の一人であったケント侯爵ジョージ王子の奥さんだった方。
で、このケント侯爵ジョージ王子というのは誰かというと、どこの国でも王族・皇族の家系図というのは複雑なので、探し出すのに苦労しましたが、どうやら現女王であるエリザベス2世のお父さん(ジョージ6世)の弟、ということはつまり女王にとっては叔父にあたる人物でありまして、するとこのプリンセス・マリーナはエリザベス女王の叔父さんの妻で…。

まあ、簡単に言えばエリザベス女王の義理の叔母さん、ということで、とりあえず頭に置いておくことにしましょう。

それともう一人、2ブロック目に出てくる「アンソニー・イーデン」というのは、ウィンストン・チャーチルの後任としてイギリスの保守党党首となり、1955年に首相に就任した貴族出身の政治家の名前。
だから、これによって、アーサーの時代軸ではチャーチルが主導した第二次世界大戦が終わり、大体1950年代くらいに突入したということが分かる仕組みになっています。


ところで、このマリーナ王女の生没年を調べると、お亡くなりになったのが1968年だったというので、これはちょっと重要かなと思います。
と言うのも、今でこそ遠い昔の話になってしまってますけど、1969年発表の「アーサー」執筆時点では、マリーナ王女の逝去は、当時のホット・ニュースとして、イギリス国内を賑わせていたであろうと思われるからです。
アルバム発表当時には、プリンセス・マリーナの名はかなりのリアリティをもって、当時のリスナーに響いていたことは想像に難くなく、つまり「アーサー」のアルバム世界と現実の世界とをシームレスに行き来させる役割を、この曲は担っていたのではなかったかと思うのです。


さて、歌詞を額面通りに取るならば、この曲では貴族の服装を真似ることで、現実の窮乏をしばし忘れる庶民の生活が歌われているようです。
英国人の王室好きというのは有名な話で、先年のダイアナ妃の例を持ち出すまでもなく、王室メンバーはまるで一種のアイドルのごとく、国民の興味の対象になっているわけですが、そんな王族のファッションに憧れて、帽子ひとつを被ることで、まるで金持ちみたいな気分に浸る貧しい娘。
いかにもキンクス的なシチュエーションで、これはこれで悪くないのですが、僕としてはやっぱりもう一つ踏み込んで、裏の意味まで読み取ってみたい。


例によってウィキペディアから得た、にわか知識によるならば、マリーナ王女というのは、イギリスの植民地だったガーナとボツニアが、1957年と1966年にそれぞれ独立した際に、エリザベス女王の代理として独立式典に臨んだ人物。
そして、アンソニー・イーデンというのは、首相時代の1956年に勃発したスエズ危機(第二次中東戦争)に際して、その対応の拙さのために国内経済に打撃を与え、国際社会におけるイギリスの凋落を加速させた人物。

すると、レイはこのふたりの人物を象徴的に配置することで、大英帝国に「衰退ならびに滅亡」をもたらした元凶と思われる、植民地の相次ぐ独立とスエズ危機という、ふたつの事実を遠回しに歌っていると考えられないこともない。

つまり、ここで歌われる経済的に困窮した庶民たちというのは、これは実はレイの考える英国そのものの姿であって、「貧乏でプライドなんかズタズタ」になり「家の戸棚には食べ物さえない有様」なのに、「妻子を養わなきゃならない」と歌われる内容は、経済的には他国の後塵を拝する完全な斜陽国家であるにもかかわらず、「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる手厚い扶助法政策によって、国民を過剰に保護することで、やがて英国病と呼ばれる深刻な社会経済の停滞を招く近代イギリスの姿を暗示する。


…などと書くと、完全に「考え過ぎ!」とか言われるでしょうね。

まあ、我ながら確かに飛躍のし過ぎとは思うのですが、しかしながら怖れ多くも「大英帝国の衰退ならびに滅亡」などという、とんでもなく大仰なタイトルを付けるからには、あのレイ・デイヴィスなら、このくらいの周到なトリックは当然のごとく仕掛けていても不思議はない。

僕は、やっぱりこの曲は、第二次世界大戦後に拍車のかかった、イギリスの衰退を歌ったものに違いないと思うのですが、そこんとこ皆さんはどのように感じますでしょうか?


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| Arthurを読み解く | 20:00 | comments(0) | - | pookmark |
アーサーを読み解く8 「Mr. Churchill Says」




 チャーチル首相は語る
 我々はこの血なまぐさい戦争を
 最後の最後まで戦い抜かねばならんのだ

 ビーバーブルック男爵は語る
 我々は勝利のために
 錫や門扉や空き缶を供出せねばならんのだ

 この島国を守るのだ
 陸上で、そして海上で
 我らの敵と戦うのだ
 海辺で、丘陵で、野原で、そして市街で

 人類の歴史の中で、かくも多くの者たちが
 かくも少数の者からの恩恵を受けたことはかつてなかった

 なぜならば、彼らは我が大英帝国を
 私やあなた方にとってより良い国に作り上げてくれたからだ
 今こそが英国にとって最良の時であったと語り継がれるであろう

 モントゴメリー将軍は語る
 マウントバッテン卿は語る
 我々はこの血なまぐさい戦争を
 最後の最後まで戦い抜かねばならんのだ

 またいつか会いましょうと
 ヴェラ・リンは歌うけれど
 終わりを迎えるまでの間に
 私たちはどれだけの犠牲を払えばいいのか

  爆撃機が頭上を行くのが聞こえるだろう
  ほら、あそこでは家が焼け、誰かの死体が転がっているよ
  通りを片付けて
  早く復興しなければ
  俺たちは自由になりたいんだから

  やれるもんならやってみろ!
  俺たちは最善を尽くすだけだ
  俺たちは戦いに勝ってみせる
  チャーチルが言うように
  そう、チャーチルが言うように

  くじけるもんか
  勇気と鍛練を示すのだ
  窓に目隠しを、扉に釘を
  戦争が終わるまで耐え抜くぞ


アーサーの時間軸も、いよいよ第二次世界大戦期に突入しました。
数々の苦労を若い頃からアーサーに科してきた大英帝国は、1940年の夏、ここに最大の苦難を、彼を含むイギリスの全国民に強います。

ナチスドイツの猛攻の前にフランスが降伏。
ヨーロッパではほとんど唯一生き残ったイギリスも、空襲の恐怖に晒される日々が続きます。
そうした中で、1940年4月に英国首相になったチャーチルは、断固としてドイツと戦うことを宣言します。

饒舌な演説で、議会や軍はもちろん、民衆までも鼓舞するチャーチル。
そしてその言葉に勇気づけられてか、アーサーのような庶民までもが「欲しがりません勝つまでは!」といった状況を前向きに受け止めていく。
といった内容です。


さて、よく言われることですが、レイ・デイヴィスの歌詞は、内容が深い割には、平易な言葉づかいで書かれることが多いです。
だからこそ、英語が不得意な僕なんかでも、辞書サイトとか翻訳サイトを頼りにすれば、ある程度の和訳が出来るわけなんですが、しかしそれなのに、この「Mr. Churchill Says」の歌詞には、至る所に難解な言い回しが出てきて、やけに難しいなあ、と思ったら、これ歌詞の半分くらいは、実際のチャーチルの演説から頂いた言葉だったんですね。

歌詞の中に出てくる
「陸上で、そして海上で、我らの敵と戦うのだ。海辺で、丘陵で、野原で、そして市街で」のあたりは、チャーチルの1940年6月4日の下院演説からの抜粋だし

「今こそが英国にとって最良の時であったと語り継がれるであろう」は、1940年6月18日、ヨーロッパで猛威をふるうナチスドイツに対して、たとえ連合国がイギリス単独になったとしても最後まで戦い抜く決意を述べた下院演説の一節、「1000年のちの大英帝国の人々にも、これが彼等の最良の時だったと言わせたいものだ」をもじったもの。

「人類の歴史の中で、かくも多くの者たちが、かくも少数の者からの恩恵を受けたことはかつてなかった」は、1940年に起こったイギリス空軍とドイツ空軍との一連の空中戦、いわゆるバトル・オブ・ブリテンに際して、8月20日イギリス下院で行った有名な演説の一節。

とまあ、こんな具合です。


ウィンストン・チャーチルといえば、第二次世界大戦時の弁舌巧みなイギリスの首相にして、盤年には数々の戦記や伝記の執筆によってノーベル文学賞まで受けた言葉の達人。
そんな人物の演説を歌詞の中に取り入れれば、言い回しが難解になるのは、これは無理からぬことでしょう。

しかしそれにしても、近代の政治家の演説を、ほとんどそのままロックの歌詞として使ってしまうこの感覚。
そして、それによって時代が第二次世界大戦中であることを、一瞬にして聴く者に想起さてしまうこの手腕。
レイ・デイヴィスという人は、印象としては全部直感で歌を書いてるような感じなのですが、これを見る限り、かなり周到な準備をして曲作りに取りかかっていることが分かります。


チャーチルの演説以外に、曲にリアルさと奥深さを与えている「Mr. Beaverbrook」「Mr. Montgomery」「Mr. Mountbatten」といった人名は、それぞれマックス・エイケン・ビーバーブルック男爵、バーナード・モントゴメリー将軍、ルイス・マウントバッテン卿であって、第二次世界大戦の時期に活躍したイギリスの軍人や政治家ですが、これらの人達の功績についてまで語るスペースはありません。

ただ、もう一人名前の出ている「ヴェラ・リン(Vera Lynn)」は1940年代に活躍したイギリスのベテラン・シンガーですが、第二次世界大戦中に出した「また会いましょう(We'll meet again)」が、時代の気分を代弁して大ヒット。
最近では、彼女が第二次世界大戦勃発70周年を記念して2009年に出したアルバム『We’ll Meet Again ? The Very Best of Vera Lynn』が、この年の全英チャート2位にランクインしたという、ビックリするようなニュースがありました。
92歳にしてチャート2位は、もちろん史上初の快挙ということで、一時話題になっていましたが、逆を言えば、あの時代を懐かしむ英国人が、それだけ数多くいるということなのでしょうか。
チャーチルの言った「今こそが英国にとって最良の時であったと語り継がれるであろう」という言葉を、奇しくも証明するような出来事と言えそうです。



参考サイト
第二次世界大戦資料館の「文書・音声保管庫」
西洋軍歌蒐集館の「音声資料」


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| Arthurを読み解く | 00:00 | comments(2) | - | pookmark |
アーサーを読み解く7 「Shangri-la」

 ついにパラダイスを見つけたね
 ここは君が支配する王国
 外に出て車を磨くのも
 暖炉のそばに座るのも
 思いのままにすればいい
 君の理想郷の中で

 ひたすら働いてきた報酬だ
 もう手洗いに裏庭まで行かなくていい
 もう車を欲しがったりもしなくていい
 座りたいだけ座り続けていればいい
 君の理想郷の中に

 スリッパを履いて暖炉のそばに座れば
 そこが君の行きついたところ
 もうそれ以上は望めない
 君は収まるべき場所にいて
 それがどこなのかも分かってる
 そこが君の理想郷なんだ

 古いロッキングチェアに揺られていれば
 何も怖がることはない
 何も気にすることはない
 君はどこへも行けやしない
 これが君の理想郷、シャングリ・ラ、シャングリ・ラ

 バスに乗り込むつまらない男
 頭の中はローンのことで一杯だ
 けれども彼は臆病すぎて愚痴も言えない
 だって、そんな風に飼い慣らされてきたんだもの
 やがて時が過ぎて、借金を完済したら
 週7シリングの支払いで、テレビとラジオを手に入れるさ
 これが君の理想郷、シャングリ・ラ、シャングリ・ラ

 通りに並ぶ全ての家には名前がある
 通りに並ぶ全ての家はみんな同じように見えるから
 同じような煙突に、同じような小型の車、同じような窓の枠

 隣人はお節介を言いにやって来る
 敷地の境界について話して、お茶を飲んだら帰っていく
 君の商売についてたずねたりもする

 ガスの請求書と水道料金、それに車の支払い
 これがどんなに心もとないことか考えるだけでも恐ろしい
 小さな理想郷の中の人生は
 それほど幸せというわけではないね
 シャングリ・ラ、シャングリ・ラ

 スリッパを履いて暖炉のそばに座れば
 そこが君の行きついたところ
 もうそれ以上は望めない
 君は収まるべき場所にいて
 それがどこなのかも分かってる
 そこが君の理想郷なんだ

 古いロッキングチェアに揺られていれば
 何も怖がることはない
 何も気にすることはない
 君はどこへも行けやしない
 これが君の理想郷、シャングリ・ラ、シャングリ・ラ


第一次世界大戦に翻弄された前半生を経て、絨毯職人として勤勉に働いたアーサーは、ついに念願の家を手に入れます。
タイトルになっている「Shangri-la」は、アーサーが購入した家の名前です。

どうやらイギリスには、住民ではなくて家屋そのものに名前を付けるという伝統があるみたいで、建物の外壁に、その「家」のネームプレートが埋め込まれている、というようなことも珍しくないようです。
そんな習慣を踏襲して、アーサーが自分の家に付けた名前が「Shangri-la(理想郷)」というのは、ささやかな幸福への願いを感じさせて、これは何ともいじらしい。

ただし、その家の中では思う存分に寛ぎつつも、ローンや公共料金の支払いで汲々として、生活の不安はいつまでたっても拭い去れない、というのがこの曲の大意かと思います。
まあ、若干憐憫の情に走り過ぎているきらいはありますが、それでも古今東西のほとんどすべての一般庶民に当てはまるような普遍的な歌詞になっていて、僕なんかも含めた普通の生活者には、非常に感情移入し易い曲なのではないでしょうか。
このあたり、「A WELL RESPECTED MAN」や「DEAD END STREET」といった風に、市井に埋もれた一般の人々を活写し続けてきたレイ・デイヴィスの面目躍如といったところです。


ところで、ちょっと余談になりますが、ファッツ・ドミノやフランク・シナトラ、日本でも榎本健一さんや高田渡さんが歌ってヒットした「私の青空(My Blue Heaven)」という曲をご存知でしょうか?

 夕暮れに仰ぎ見る輝く青空
 日暮れて辿るはわが家の細道
 せまいながらも楽しい我が家
 愛の日影のさすところ
 恋しい家こそ私の青空

という歌詞なんですが、僕はどうもこれが「Shangri-la」と結びついているように思えてならないのですがいかがでしょう。
アメリカで「My Blue Heaven」が発表されたのが1927年、日本語版の発売が1928年といいますから、「Shangri-la」でアーサーが体験している時代と、それほど大きな違いはないはずです。

これらの曲で歌われるような、外ではどんなに辛いことがあっても、また、日々の生活に追われていても、家に帰れば幸せ、という生き方は、人間が大昔から求めてきたひとつの理想的な人生像でしょう。
日本でも、また世界的にも、20世紀の前半から中盤あたりまでは、このような人生観がまだまだ主流だったのだと思います。


話は余談から更に飛躍してしまいますが、最近の日本を見ると、この辺の価値観が随分と薄れてきてしまっているなあという印象です。
家族への帰属意識の希薄化、或いは家そのものに対する愛情の欠如。
ひょっとすると、そうした諸々が、近年異常に多発する痛ましい虐待や、尊属殺人に繋がっているのかな?という気がして仕方ありません。

ありきたりな表現で恥ずかしいですが、生活は苦しくても心は豊かだったアーサーの時代とは全く逆の時代に、現代はなってしまったのかなあという気がします。


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| Arthurを読み解く | 19:48 | comments(0) | - | pookmark |
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