VIDEO ヴィレッジ・グリーンに陽が昇り
丘に 谷に 朝の訪れを告げる
山にも 村にも 朝日が差し込み
野原を 工場を 陽が照らしだす
夜は去った 新しい一日の始まりだ
早起きの人をごらん 寝ぼけまなこで歩き回ってるだろう
疲れた奥さんたちは歯ぎしり そばで赤ん坊が泣いているのに
忙しい人がここにも そこにも
モーニングショーを見ながら
トーストをかじり お茶を飲んでるよ
さあ太陽を浴びよう
枕元に陽が射し込んだらあくびをやめて
新しい朝の訪れを神に感謝しよう
谷にも 木々にも 丘の斜面にも 朝日が差し込む
笑顔で歌おう 夜は過ぎ去ったんだから
中年の銀行員は背中を叩いて 若かりし10代の頃に戻りたいと願う
独り身の女は
ロジャー・ムーアやスティーヴ・マックイーンとのデートを夢見る
健康マニアは屋根裏部屋でコモンウェルス・ゲームズのための練習に励み
男の子たちは戦艦や飛行機に乗り込んだキャプテン・スカーレットに憧れる
朝日を感じよう
ヴィレッジ・グリーンに陽が昇る
野原を 谷を 朝日が照らし出すよ
歌詞の冒頭で、いきなりその名が出て来るように、物語の舞台は"あの"ヴィレッジ・グリーンです。
ヴィレッジ・グリーンを舞台として、その平凡な朝に、早起きの人が散歩をし、くたびれた奥さまたちが子供の世話にうんざりし、中年の銀行員や寂しい独身女性が、それぞれの胸にささやかな希望を抱くという、レイ・デイヴィスお得意の世界観が歌い込まれています。
そこにはまだ、前回に見たような、フラッシュの魔の手は伸びてはおらず、人々は昔ながらにのんびりとした暮しをしているようです。
ところで、キンクスファンの中にも、ひょっとするとキワモノ的な変な先入観を持って、このアルバムを避けて通っているリスナーがいるかも知れません。
しかし、いるとすればそれは極めて残念なことです。
僕がそうした方々に申し上げておきたいのは、やはりこれは「Village Green Preservation Society」の続編に他ならないということ。
この「Preservation」シリーズの土台となるアイデアは、“Village Green”のその後の物語であって、だから、作品の根底には、そのエッセンスもまた濃厚に流れているのです。
一般に「Preservation Act1」「Act2」というと、レイ・デイヴィスの偏執狂期である、RCAのロック・オペラの中でも、最も取っつきにくい作品として喧伝されるきらいがありますが、本当にそうでしょうか?
まあ、確かに「Act2」に関しては、そのように認めざるを得ない部分はあるにしても、少なくともこの「Act1」はそうではない。
恐らくこれは世界的な傾向なのだと思うのですが、「Village Green Preservation Society」の高評価に比べて、「Preservation」シリーズの評価は、また極端に低いようです。
しかし、その低評価というものは、本当に作品を聴いたうえでの評価なのかどうか。
あの「Village Green〜」のアルバム曲に、「この世はすべてショービジネス」あたりのフィルターをくぐらせたような、この「Daylight」をはじめ、その他の収録曲聴いていると、僕はどうも多くの人は、聴かず嫌いのままこのアルバムをスルーしているのではないだろうかと疑ってしまうのです。
さて、ちなみに、オリジナル・アルバムで、この「Daylight」に先立って歌われるオープニング曲は、気取ったおじさんのハミングが延々と続く「Morning Song」でした。
ところが、これは歌詞の無い、文字通りの鼻歌なので、この全曲訳では割愛せざるを得ませんでした。
「Morning Song」は、のどかな村の夜が白々と明け、人々が夢とうつつを行き来する様を思わせる、いかにもお芝居の序幕らしい視覚的な小品なのですが、最近のCDでは、元々シングル曲だった「Preservation」が、冒頭を飾るのが定番になっているようです。
ただ、「Preservation」を1曲目とするこの曲順では、アルバム丸々一枚をひとつの演劇作品に見たてさせるという、レイ・デイヴィス本来の狙いが、生きてこない気がします。
だから、個人的には、これからこの「Preservation Act1」アルバムを聴いてみようというリスナーの方には、ぜひこの「Morning Song」から聴きはじめることを、蛇足ながらお薦めしておきたいと思います。
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