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Americanaのプロモ・ビデオ公開


本国イギリスでは、いよいよ10月3日に迫った、レイ・デイヴィスの著書「Americana」の発売を前に、そのプロモーション・フィルムが公開されました。

うーん、映像だけ見ていると、2004年のニューオリンズでの銃撃事件が大きく取り上げられていそうですが、ちょっとこれだと詳細は良く分からないですね。

この発売を機に、レイ先生は今後、ロンドンやらリバプールやらニューヨークやらで、サイン会を開催するようなんですが、当然ながらそのスケジュールに日本は入ってません。
ていうか、この本自体、日本で発売されるのかどうなのか?

まあ、以前には「X-Ray」だって出たんだし、あまり期待せず、気長に待ってみましょうか。

ところで、7月くらいの情報では、ニューアルバムも本に合わせて同時リリースみたいな話だったのが、蓋を開けてみたら実際にリリースされるのは「Muswell Hillbillies」のデラックス・エディションでしたね。

僕は先日のデイヴによる2014年リユニオン話も、このプロモーションの一環じゃないかと睨んでいるんですが、まあ、ことの真相はともかく、キンクス情報はあてにならないのが多いです。


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| Around The Kinks | 19:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
デイヴが語る2014年リユニオンの可能性は50/50
RollingStoneのウェブサイトが、デイヴ・デイヴィスへのインタビュー記事を載せているので、気になる部分だけ抜粋してご紹介させていただきます。


■■以下記事を抜粋■■

デイヴの脳梗塞の後、レイは頻繁に彼のもとを訪れるようになった。
「こんなことを言うのは卑劣に聞えるかもしれないけど、レイは僕が完全に無力になったのを見て楽しんでいたんだと思う」

脳梗塞の数ヵ月後、レイは英国のプレスに対し、デイブにどうしたらもう一度ギターを演奏できるか教えていると語った。
「ああ!」彼は言う。
「ギターを教えてもらうのには、僕の猫の方がよっぽど役に立ったさ。あれは僕を愛してくれてたし、僕を支配しようともしなかったからね。僕を大事にしてくれたってことだ」



キンクスは来年50周年を迎える。そこで1996年の分裂以来初となるツアーで、これを祝う話が持ち上がっている。レイとデイヴはこの夏、そのことを徹底的に話し合うため、3度のミーティングを行った。
「最初のふたつは重要だった。僕らは昔話と、そして来年、恐らく何かをすることになるだろうと話した。自分としては“クソッ!死ぬ前に何か出来るかもな!”って心境だった。前向きな話だよ」

「僕がアメリカにやって来る直前に、僕らは一緒にお茶をしたのさ。その時のレイはとても陰気で、気難しくて、もの凄く不親切だった。まるでブラックホールにでもハマったみたいにさ。彼は、僕にアメリカに戻って欲しくなかったんだ。たぶん僕がハッピーな状態だったのと、彼の承認なしに何かしようとしたのがお気に召さなかったんだろうね。僕がハッピーだと、彼は自分が惨めに感じるんだ。彼は正真正銘のトラブル野郎だよ」



(80年代にブレイクして、スタジアム級のライブを行った後)
1996年に分裂するまでの10年間、キンクスはより少人数の聴衆の前でプレイするようになり、リリースするレコードも注目されなくなった。
「僕らにはいつだってハードコアなファンがいた。だけど、一般大衆はキンクスの愛憎にばかり興味を持つのさ。そんなのは人々の頭にクエスチョンマークを残すだけだ。一方で、ボストンやヴァン・ヘイレンなんかの多くのアメリカン・ロックバンドが認められるようになってきた。パターンが確立されたんだ。テクニック的には優れているけど、ハートの部分ではどうかな。僕らのレコードというのは、そういうのとは全然違う。僕は予測のつかないような感覚を大事にしたい。これはビッグセールスには結び付かないけどね。僕にとっての優れた芸術とは、予測不能ということなんだ」



ソロツアーが成功裏に終わった今、プロモーター達はキンクスの50周年アニバーサリー・ツアー計画によだれを垂らさんばかりだ。
「それが起こる賭け率は50/50かな。ボールはほぼレイのコートに入ってる。僕らはよくテニスをしたんだけど、僕が彼を打ち負かしそうになると、彼は戦略を練るんだ。基本的には、僕が勝ちそうになると“ああ、背中を怪我した!”ってくるのさ。それで僕が手加減すると、今度は俄然攻撃的になる。僕はそれでマジで怒る。すると奴は笑う。まるでスターウォーズの皇帝が、ルークの性格を試してるみたいだよ。皇帝がルークを怒らせて“私の勝ちだ!”って言うあれさ」

実際にデイヴは、彼の兄がパルパティーン皇帝のようだと思っている。ダース・ベイダーでさえ最敬礼をするほどに凶悪な。
「いいや、彼はもっと邪悪さ。でも、感謝もしているよ。だって、彼が僕に対してクソみたいにイヤな奴じゃなかったら、僕は人生についてより多くを学ぶこともなかっただろうからね。友人を選ぶことは出来ても家族を選ぶことは出来ないっていう、古い決まり文句があるけど、僕は、僕らは互いに何かを教え合うために一緒にされたんだと思ってるんだ。そして願わくば、僕らの音楽を聴いてくれる人達の助けになれるようにってね」



キンクスのニューアルバムについては、ほとんどまったくと言っていいほど見込みがない。
「レイとスタジオで毎日顔を突き合わせるのは無理だ。僕には出来ない」

キンクスのオリジナル・ベーシストのピート・クウェイフは2010年に亡くなっている。さらにドラマーのミック・エイヴォリーに話が及ぶと、デイヴは目に見えて尻ごみをする。
「彼を戻したくはないんだ。僕は彼が大好きだよ。でも、もう終わったことなんだ。僕らには新しい人達が必要だ。古い仲間と一緒にいても、古いことしかできないんだから」

「僕らが衰えて、腐ってしまう前に、レイと一緒にやりたいことを本当に実行したい。先週、僕はレイに言ったんだ“僕らには残された時間がないんだよ”って。だけど、彼は何とも…。ああレイって奴はなんてクソったれなんだろうな!」

■■引用ここまで■■


インタビュー中にレイの悪口を言いまくり、最後も「レイはクソったれ」で終わるところなんか、普通は後味悪いんでしょうが、これが彼の絶好調を意味するので、ファンとしては逆に嬉しくなってしまいます。

また、ここでは割愛させていただきましたが、本文ではこのほかにも新しい女性アシスタント(ガールフレンド?)のこと、1960年代のアメリカからの追放劇と70年代の復活、脳梗塞の発症と闘病生活などについて、デイヴは丁寧に答えていました。

さて、それにしてもやはり気になるのは、来年のキンクス50周年の部分でしたね。
レイとデイヴはこの夏、本当にミーティングの機会を持ったのか(レイ先生の言葉なら怪しいけど、デイヴが言ってるんだから本当かな?)。再始動の確率は50/50なのか、ニューアルバムの可能性は全くないのか、ミックとは再び一緒に組む気はないのか、等々…
来年のキンクスの動きがいよいよ気になるインタビュー記事でした。

ちなみに、レイ先生はこの件について、UNCUT誌に早速コメントを出しているんですが、それによると、彼はデイヴと会ったことを認めた上で「再始動なんかあり得ないと言い続けて来たのはお前じゃないか」といなしたとのこと。

結局、来年何が起こるのかについては、ディヴィス兄弟も含めて、まだ誰にも分からないというのが実情のようです。


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| Around The Kinks | 19:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お日様とぶどうパン


秋分の日を過ぎて、空にうろこ雲が広がり始めたら、そろそろ「Autumn Almanac」を聴いて、気持ちを秋モードに切り替えなければなるまい。
そして、その次に『Something Else』の全編を聴いて、来るべき冬に備えなければなるまい。
なぜなら、それが僕の秋の歳時記だから、ラララ…

というわけで、このほどその手始めとなる、毎年恒例「Autumn Almanac」の聴き初めを行ったのであります。

いや、実際にはこれは、秋といっても枯葉が黄色く舞い落ちるような、もっともっと冬に近い秋、多分11月くらいの風景を歌い込んだものと思うので、いま聴くには少し早すぎるきらいはあるのだが、まあこの際それは置いときます。

ともかく曲を聴いたらですね、今までは気にも留めなかった、歌詞の中のひとつの単語が、僕の意識にコツンとぶち当たってきたのです。
それは何かというと、これが“Currant Bun”という言葉なのですね。
単純に訳すと“ぶどうパン”ということになるのでしょうか。

何でまた僕がこれに引っかかったのかと申しますと、前回の記事で訳した「Sitting In The Midday Sun」の歌詞。あの中にも同じくこの単語が登場していて、そして僕はその言葉の解釈に、少々手こずらされたからなのです。


さて、いきなりですが、ここでお話は“Currant Bun”から一旦逸れまして、ロンドンの“コックニー訛り”にひとっ飛びします。

コックニーというのは、ご存じのようにロンドンの下町言葉で、イーストエンドの労働者階級が好んで使っていた、一種の方言のようなものですね。
厳密には、ロンドンの「セント・メリー・ボウ教会」の鐘の音が聞こえる範囲で生まれ育った、生粋のロンドンっ子が使う言葉だそうですが、ただ、方言といっても、そこには言葉遊びみたいなスラングも含まれているので、部外者にはとてつもなく分かりにくい。

以前、レコードコレクター誌のキンクス特集の中で、ピーター・バラカン氏が語っていたところによると、例えばコックニーで(アップル)という言葉は、(リンゴ)ではなくて(階段)を表すんだそうです。
なぜなら、リンゴといえば梨なので、Apple & Pears(リンゴと梨)→ PearsはStairs(階段)に語感が似ている。だからアップルは階段。

同じようにBacon & Eggs(ベーコンエッグ)はLegs(脚)
Central Heating(セントラルヒーティング)はMeeting(会議)
最近ではBritney SpearsはBeers(ビール)ということになっているらしく、「ブリトニー飲みに行こうぜ!」と言えば「ビール飲みに行こう」という意味になるとか。

キンクスで言えば、『Something Else』の中に「Harry Rag」という曲がありますけれども、これもRagはFag、すなわち(紙巻き煙草)ということで、煙草好きの男について歌った曲なんですってね。

まあとにかくこんなのは、ロンドンの下町っ子ならぬ身の僕らには、辞書でもなければ分かりようもない。


さて、それで戻りまして“Currant Bun”について

「Autumn Almanac」の歌詞を見ると、これはこんな風に歌われています。

 Friday evenings, people get together
 Hiding from the weather
 Tea and toasted, buttered currant buns
 Can't compensate for lack of sun
 Because the summer's all gone.

 どんよりした金曜の晩
 そんな天気から隠れるように みんなが集まって
 紅茶と、バターを塗ったぶどうパンのトーストを楽しむ
 それでも日差しの弱さを紛らすことなんか出来ないさ
 だって夏は過ぎ去ってしまったんだもの

対して「Sitting In The Midday Sun」ではこんな風。

 Just sitting in the midday sun
 Just soaking up that currant bun
 With no particular purpose or reason
 Sitting in the midday sun.

 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 目的とか理由とかそんなものはないよ
 ただお陽様の下に座ってるだけ

同じ“Currant Bun”という言葉を、「Autumn Almanac」では素直に“ぶどうパン”と訳しましたが、「Sitting In The Midday Sun」では色々と迷った末に“お天道様”と訳したのは、まさしく上に書いたコックニーのスラングに倣ったからです。

すなわち、コックニーでは、Bun(パン)はSun(太陽)に他ならない。

だけど、そうして考えてみると、「Autumn Almanac」だって、歌詞のこの部分では夏の太陽を恋しがっているのだから、太陽の暗喩として、レイ先生は敢えてあそこに“Currant Buns”という言葉を入れたのかも知れない。
逆に、「Sitting In The Midday Sun」だって、風来坊がひなたぼっこをしながら、ぶどうのパンをかじってる。もしくは“Bun”にはまた、イギリスの大衆紙の「The Sun」という意味もあるそうだから、ひなたぼっこをしながらタブロイド紙を眺めている、という解釈だって出来なくもない。

とまあ、そのように色々と思いを巡らせれば、“Currant Bun”という単語ひとつから、様々なイメージが広がるわけで…

以前にも何度か書いていますが、レイ先生の歌詞というのは、一見すると、とても平易な文章なんだけれども、その奥行きはとてつもなく広い。
割合に簡単な単語を使いながら、しかしその単語ひとつひとつを吟味していくと、思ってもない隠された意味が潜んでいたりして、だから、特に非英語圏の人間が、キンクスの世界観を解釈しようとしても、なかなか一筋縄ではいきませんね。
まあ、それがキンクスファンの、ある意味楽しみでもあるわけですが。


さて、まったくの余談ですが、コックニー訛りでは、“th”は“f”あるいは“v”となるというのを知りまして
するとこのビデオで



レイ先生が“free”と歌いながら、指を三本立てて“three”を表しているように見えるのは、これはやっぱりそういうつもりでパフォーマンスしているのでしょうか?
これ、長年の僕の疑問です。


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| Something Else | 21:23 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳10「Sitting In The Midday Sun」



 淡い水色の空を仰いで
 じっと川辺に座ってるのさ
 悩みもなければ急ぐこともなし
 世の中の動きをただ眺めてる
 
 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 目的とか理由とかそんなものはないよ
 ただお陽様の下に座ってるだけ
 
 みんなは僕を怠け者っていう
 少しは働けよ このボケってね
 でも財産を失うことを恐れる金持ちよりも
 一文無しの浮浪者でいるほうがずっとましだよ
 
 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 それに理由がいるのかい?
 ただお陽様の下に座ってるだけなんだよ
 
 サマードレスで着飾った女たちを見ろよ
 日なたに座るあの娘たちさ
 僕には家がない
 僕には金もない
 だけどこんな素敵な晴れの日に
 仕事なんかする気になれないさ
 
 僕は定職に就いてない
 だから電話も持ってない
 ステレオもラジオもビデオもないかわりに
 質草も借金もローンもないのさ
 
 ひなたぼっこが僕の趣味
 目的も理由もなんにもなしに
 お陽様の下に座るだけ
 
 おやおや 世間では僕のことを
 何も持ってない負け犬だって噂してるよ
 彼らには分からないだろうなあ
 お金を持たないことこそが
 僕の誇りなんだっていうことが
 こんな素敵な晴れの日に
 仕事なんかする気になれないさ
 
 僕が狂ってるって思ってるみたい
 お前はウスノロだってみんな言ってる
 でも互いに怒鳴り合ってる人たちを見ると
 仕事にあぶれた浮浪者のほうがましだと思うよ
 
 真昼の太陽の下に座って
 お天道様の光をいっぱいに浴びる
 目的とか理由とかそんなものはないよ
 ただお陽様の下に座ってるだけ


アルバムの中で、先に「Sweet Lady Genevieve」と「Where Are They Now」を歌ったTrampが、三たび登場して歌うお昼寝ソング。
川辺に座って時を過ごすという牧歌的なシチュエーションは、一見『Village Green Preservation Society』に通ずるものがあって、かのアルバムのリスナーならば、この曲を聴いて、まず十中八九は「Sitting By The Riverside」を思い浮かべるんじゃないかと思います。

ただ、「Sitting By The Riverside」の主人公が、完全に個人の世界に浸りつつ、自己完結的に至福の時を満喫するのに対し、この曲の主人公は、どこかで世の中との繋がりを意識しており、しかしながら敢えてそれと距離を置き、傍観する立場を取ります。

個人的には、Trampのこの世の中に対する距離感は、「Sitting By The Riverside」というよりは、むしろ『Arthur』における「Drivin'」に近いんじゃないかという気がしています。
“世界中で色々ないさかいが起こっているのは知っているけれども、今日はお天気だからドライブに行きたい”というのが、「Drivin'」での世間との距離感だったわけですが、これと今回のTrampの距離感というのは、どこか共通しているように感じますが、いかがしょうか?

キンクスはその長い歴史の中で、様々な事柄を歌にしてきたバンドなので、何をして“キンクス的”と言うのかについては、意見の分かれるところでしょう。
ただ、僕としては、その“キンクス的”なるもののひとつには“君は君、僕は僕”という、世間との距離感があると思っています。

ピート・タウンゼントが、“戦わず理解しようとし、座り込んで観察し、状況にユーモアを見出すレイ・デイヴィスの人生観に、アメリカ人が何の関係があっただろう”と、いみじくも語ったような、レイ・デイヴィスの、この世間と距離を置く個人主義的な発想は、「I'm Not Like Everybody Else」をはじめとして、「Waterloo Sunset」や「20th Century Man」あたりにも見ることができますし、そしてもちろん、この「Sitting In The Midday Sun」にも顕著に表われています。

そうしたことを色々と考え合わせると、やはりTrampの歌うこの曲は、メロディーの美しさもさることながら、特にその歌詞の中に、キンクス的な精神が最大限に発揮された、彼らの全曲中5本の指に入るくらいの大名曲であって、仮にこれが本家『Village Green〜』とか、『Muswell Hillbillies』とか、そうしたキンクスの中でも知名度の高いアルバムに含まれていたならば、今よりもずっと高い評価を得ていただろうことは想像に難くありません。

ただ、それがそうではなくて『Preservation Act1』という、このひどくマニアックなアルバムに収録されてしまったということで、非常に逆説的になりますが、そうした不遇さ加減も含めて、僕はこれが“キンクス的”な曲の最右翼であると考えるのであります。


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| Preservation全曲訳 | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
オール・オブ・ザ・ナイトがH&Mのキャンペーン・ソングに


思いっきり手前味噌になるけれども、やっぱりキンクスは時代を超越してたことが、これで証明されちゃいましたね。

だって、いまH&M2013年秋のキャンペーン・ソングとしてTVで盛んに流れている、このジゼル・ブンチェンが歌う「All Day and All of the Night」は、これオリジナルが出たの1964年10月23日ですよ。
キンクス4枚目のシングルとして世に出たのが1964年の10月。

ということは、年月日だけ言ってもピンと来ないかも知れないので、あえて付け加えるけれども、1964年10月というのは、ちょうど前回東京でオリンピックが開催されていた時期でありまして、今から何と49年も前のことなのです。

それがまあ、アレンジの力はあるにしても、しかし今からおよそ50年も前の曲が、ファストファッション・ブランドの最新のキャンペーン・ソングに採用されて、キンクスなんか何も知らない若い子たちがそれを聴くというね、なんかやっぱりこれはスゴイことだと思います。

まあ、これをきっかけに若い子がキンクス好きになるというようなことは、僕はもはやそれは期待しないけれども、でもカヴァーとはいえキンクスの曲が世界中で流されて、老若男女問わず沢山の人に聴かれるというのは、それはそれでとても嬉しい。

ちなみにジゼル版「All Day and All of the Night」は、H&Mのサイトから数量限定で無料ダウンロードできるほか、iTunesストアで購入すると、その収益の一部が、途上国の子供たちへのワクチン購入費としてユニセフに寄付されるということなので、キンクスなんかは昔からあんまりチャリティーとかには縁のないバンドだったけれども、時にはこういうような使われ方をするのも悪いもんじゃないと、いちファンとしては感じております。



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| Something Else | 19:17 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Preservation Act1 全曲訳9「Here Comes Flash」


 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 お前に勝ち目はない
 奴の気まぐれに従うしかない
 さもないと殺されるぞ
 フラッシュがやって来たんだ!
 
 初めはにこやかに
 友達の素振りして
 それからお前を締めつけにかかる
 お前をこき使い
 荒くれの取り巻きたちにボコボコにさせる
 ついにお前は脅されるがままになる
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 奴はお前を殴りつけ
 叩きつけ 痛めつける
 お前はメチャクチャになっちまう
 奴がお前をイジメ抜くのに
 お前は抵抗もできないさ
 黙ってただ見てるだけ
 初めはにこやかに
 親切ごかしに近寄って
 それからあっさり裏切るんだ
 
 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 俺たち一度は奴を敬愛し
 信じたこともあったんだ
 今じゃあ奴のゴロツキどもが
 この村にやって来て
 俺たちを抑えつけ
 俺たちを圧迫し
 俺たちを苦しめて
 意のままに扱いやがる
 
 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 初めはにこやかに
 友達の素振りして
 それからお前を締めつけにかかる
 
 逃げろ! 飛んで逃げろ!
 娘と女房は隠しとけ
 ドアに鍵掛けて表に出るな
 フラッシュがやって来るぞ!
 
 お前に勝ち目はない
 奴の気まぐれに従うしかない
 さもないと殺されるぞ
 フラッシュがやって来た!
 フラッシュがやって来たんだ!


遂に登場した、Preservationシリーズの真の主人公フラッシュ。

これはもう、余計な解説は不要ですね。
凶悪な地上げ屋の一味が、ヴィレッジ・グリーンにやって来たと、それで、彼らは何をしでかすか分からないから、とにかく逃げて、家に籠ってじっとしていろと、そういう歌のようです。

ところで、キンクスファンは既にご承知の事実かと思いますが、念のために蛇足ながら書いておきますが…。
このフラッシュというのは、『Preservation』のしばらく後、1975年に発表される『不良少年のメロディ(Schoolboys in Disgrace)』の主人公である、あの悪たれ小僧の成長した姿です。
そして、レイ先生が語ったところによれば、その悪たれ小僧のモデルはデイヴ・デイヴィスということになっています。

デイヴがモデルとされるキャラクターを、この曲のような、いかにも憎々しい、禍々しい人物として描くあたりに、レイ先生の弟への怨念がどれほど作用しているかは定かではありませんが、しかし、レイの視点で観たデイヴ像というのは、当時からこんな感じのものだったのでしょうか?

まあ『不良少年のメロディ』までなら許せるけれど、ちょっとこれは行きすぎという気がしないではないですね。


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| Preservation全曲訳 | 21:32 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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